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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第1巻 (0176)

菩提野湿原(ヨシなどの侵入によって衰退がみられる)には、 昭和三十五年頃まではミズゴケの中に、 モウセンゴケ・ミミカキグサ,この湿原については、 鈴木広司氏が「菩提野・蛇沢湿原」についてとして調査報告を発表しているので、,位置は花輪の北東部、 奥羽山脈の麓にひろがる菩提野扇状地の中央寄りの、 雁府という部落の近くにある,菩提野扇状地の伏流水の地表に湧き出た水が、 その下流一帯を浸すように流れ、 そこに巾約五〇メートル
鹿角市史 第1巻 (0402)

4その他の土師器時代遺跡〓菩提野竪穴住居群跡昭和四年(一九二九)大湯の郷土史家・浅井末吉氏が、 木村善吉氏,に依頼して、 調査したもので、 菩提野と称する雁府から草木に向う道路の左右に、 一二個の竪穴が分布,砂礫層上の水平面から、 土師器と思われる土器片で木葉痕が認めら第9図第3号竪穴平面図及断面図第10図菩提野竪穴出土土器
鹿角市史 第1巻 (0222)

このように見てくると菩提野遺跡の竪穴住居跡は凹んだ状態で発見されたことだけ見ても大湯浮石層以後のものと,これでここに紹介した鳥野遺跡、 源田平遺跡、 菩提野遺跡の三遺跡は新菩提野〓源田平〓鳥野円という編年
鹿角市史 第1巻 (0009)

皮投岳〓マ黒森山菩提野城山野球場
鹿角市史 第2巻 上 (0311)

菩提野穴堰鹿角盆地の東部山地大森山麓に広がる菩提野扇状地の開拓は、 まさしく苦闘の歴史というべきいあった,南部右近毛馬内通御代官所小平村之内小折壁川え大川目足加、 土中四百間程堀貫水相通用水ニ仕、 同村野中井菩提野
鹿角市史 第5巻 (0570)

細野(道)保田菩提野〔花〕菩提野湿原菩提野扇状地仏沢袋部(山)掘合坂〔毛〕堀内本郷〔藤里町〕盆坂本城〔
鹿角市史 第2巻 上 (0313)

第一節農業生産力の向上第3図文政八年四月菩提野並に野中の絵図面(新堰願の場所あり(滝正蔵氏蔵)ハゝ右菩提野
鹿角市史 第1巻 (0237)

深見沢〓大曲a谷地中〓大曲B不動沢苗圃〓案内〓孫右エ門館中ノ崎柏木森上葛岡〓上葛岡・上田表中ノ沢北の林〓菩提野,八幡平字後口田八幡平字東館4・5・〓・〓・〓〃西館9の1・〓・〓・〓・〓・〓〃八幡平字上山田〃花輪字菩提野花輪字八幡平
鹿角市史 第5巻 (0618)

500· 501細井2上75勝郷(佐次衛門)細川因幡守2上612 · 628細野 時雄菩提野太吉,3上1673下545菩提野俊男菩提野春松3下6291354北海坊佛仙2下5012上98堀田 勝直(内蔵助
鹿角市史資料編 第11集 (0145)

七貫弐百文村限郷割合之節給処肝入并小走村老名共罷越寄合賄代一、 八貫七百五拾文老名共并給処御官処御用之節差懸り毛馬内宿ニ而賄代一、 六百文上田林治知行処菩提野高出銭村,四貫弐百六十四文諸普請見分為御用御代官上下四人、 下役上下、 御物書肝入老名共ニ上下十七人、 弐賄代一、 拾五貫七百三十弐文菩提野掘貫見分為御用御勘定吟味役格奈良宮司上下六人
鹿角市史 第1巻 (0221)

青森県第1図大湯浮石層の分布と層厚富樫泰時氏は、 鹿角市内の鳥野遺跡、 源田平遺跡、 菩提野竪穴遺跡,の調査結果をもとに、 各遺跡遺構への大湯浮石層の堆積状況及び出土遺物から、 「鳥野」「源田平」「菩提野
鹿角市史 第1巻 (0211)

立札せよと同人曰ふ誠に心なき者共の仕草に涙がこぼるゝなり……八月二四日は菩提野竪穴群について、 十二月一九日分,報告書はその経緯について大湯温泉の郷土史研究家浅井末吉氏が、 昨、 昭和四年十月、 同町俗称菩提野原
鹿角市史 第1巻 (0403)

さらに、 この菩提野遺跡は、 一九五一年(昭和二十六)と一九五二年(昭和二十七)に、 秋田県教育委員会,それによると、 この菩提野遺跡の年代は、 古代末
鹿角市史 第5巻 (0507)

#183;441~445 · 604 3下317 · 319細布→けふの細布細野道菩提野穴堰,2下2682上277~282 3上8 · 230 · 231 3下177 414菩提野開墾菩提野竪穴住居群北方警備
鹿角市史 第2巻 上 (0024)

、 人口の変化、 人口の構成二農業生産力の向上二六郷村高の増加、 新田開発、 知行新田、 菩提野穴堰
鹿角市史 第2巻 上 (0312)

大湯南部北氏が穴堰働方と菩提野披立方を願い出たため、 藩では御勘定方三人に現地調査させた結果十分見込,依之毛馬内通御代官所小平村之内菩提野ト申所土地相応ニ御座候得共用水無之ニ付、 鍵屋沢ト申所え穴堰堀通小折壁川
鹿角市史 第3巻 下 (0229)

なお前項耕地整理のうち、 宮川村水沢・深地区や柴平村菩提野地区などは、 当初に開墾地として事業を起,また柴平村菩提野について、 昭和六年の新聞は、 字小枝指、 小平、 上台三部落の原野三〇〇余町開墾事業
鹿角市史 第1巻 (0031)

作沢沼の植物…一丁〓夜明島の渓谷林一一七〓黒森山の植物…一二〇〓滅びゆく低地の湿原一二一-大谷地、 菩提野湿原
鹿角市史 第1巻 (0038)

4その他の土師器時代遺跡三五二〓菩提野竪穴住居群跡…三五一〓東北縦貫自動車道発掘調査から…三五四①歌内遺跡
鹿角市史 第1巻 (0323)

草木小坂遺跡(鹿角大規模農道・秋田県教育委員会)(所在地〉鹿角市十和田草木字小坂九の(遺跡概況>菩提野扇状地
鹿角市史 第3巻 上 (0042)

第二節農業振興への努力…二二三一農民と農業の姿…二二三封建的諸制度の撤廃、 明細村鑑帳、 開墾の進捗、 菩提野開拓
鹿角市史資料編 第11集 (0123)

同壱人御勘定方大萱生忠左衛門同断御徒目付工藤八百右衛門同断一、 同拾壱人大ゆ駅処地組割合急傅馬差出候分一、 御傅馬三疋御勘定吟味役奈良宮司菩提野見分之節大
鹿角市史 第1巻 (0404)

ちなみに、 雁府部落の菩提野氏の証言によれば、 その遺跡近辺には凹地が最近まで認められた由である。
鹿角市史 第4巻 (0094)

盆地の地形の特徴は、 東側の山地を刻んで大小の沢が発達し、 その麓には菩提野扇状地をはじめ、 幾
鹿角市史資料編 第3集 (0080)

相心得小枝指の者も苅せ置候草木村之者共肝入始申出ニ付遂吟味候所如何之義始末弐枚有乍去他ニ正扣可申事右菩提野草苅争,の儀、 享保年中よりの始末あり、 明和年中再発毛馬内御代官一存ニて、 菩提野を小平小枝指ニ引渡しべき
鹿角市史 第1巻 (0206)

主な調査地点は熊取沢出合・小又沢・北野・田代平・菩提野の五地点で、 各カ所三~八回の調査が行われている
鹿角市史 第5巻 (0454)

一一·二三花輪平元地区コミュニティ発足二〇周年記念式同と菩提野穴堰開鑿事蹟顕彰碑の除幕式が花輪第二中学校
鹿角市史 第1巻 (0429)

鳥野遺跡発掘調査報告書』昭五三秋田県教育委員会〓『小平遺跡発掘調査報告書』昭五四鹿角市教育委員会〓「菩提野
鹿角市史 第1巻 (0343)

発掘された野中堂遺跡(『発掘調査報告書』から)同年七月八日から十日まで、 中通り工事現場・菩提野竪穴群
鹿角市史資料編 第14集 (0076)

、 菩提野平御立林御山守多左衛門印同長松印西は小枝指傳兵衛知行處畑限東は楢山御林限北は道限南は堰限松三拾本目通弐尺五寸廻
鹿角市史 第5巻 (0243)

下川原新田川緣普請隅木倉流失す六·小平村重兵衛· 勇治、 親共が文政八年普請取付の菩提野穴堰是迄一九
鹿角市史 第5巻 (0290)

菩提野穴堰ようやく貫通す。 全長四五〇間余。
鹿角市史 第5巻 (0319)

尾去沢鉱山、 浮遊選鉱法を採用の新選鉱場完成六第八師団観兵式、 菩提野に行わる。
鹿角市史 第4巻 (0771)

りから始まったとされているが、 現在は祭典や盆踊で打たれ、 八月十六日には寺坂・小枝指・級ノ木・菩提野
鹿角市史 第3巻 下 (0265)

村阿部勘作神田定之助佐々木儀一郎渡部康民斉藤夘之工藤安五郎渡部繁雄斉藤千太郎関喜一郎今坂与七郎田中権吉今坂健一斉藤三之助斉藤哲五郎阿部定四郎禾平村豊田長太郎兎沢寅吉朝霧兼松黒沢伊四兎沢黄太郎木村留吉山本勝太郎菩提野正二中村一郎児玉富蔵木村長助斉藤林治児玉栄吉
鹿角市史 第5巻 (0211)

この年菩提野穴堰の開鑿を小平村兎沢繁·豊田喜代七、 毛馬内村左兵衛、 松館村与助らが藩に
鹿角市史資料編 第14集 (0142)

此反別三畝拾五歩同村御山之内一、 菩提野平専右衛門林と申所小枝指村願人専兵衛印西は野形限東は道限北は
鹿角市史 第2巻 下 (0190)

明治三一、 当未起返し小前壱人別書上帳明治四一、 大湯より諸品下ケ伝馬覚年代不明一、 覚(草刈入合菩提野争論
鹿角市史 第1巻 (0218)

東部の奥羽背梁山脈の山麓には、 礫からなる広大な菩提野複合扇状地が形成されている。
鹿角市史 第1巻 (0208)

4、 平地の菩提野や大湯の人家近いところでは、 比較的暖地性の種類がかなり見つかった。
鹿角市史 第5巻 (0235)

六·二〇菩提野草木村草刈場所へ小平村小枝指村の若者共大勢押入り、 争論起こる。
鹿角市史資料編 第11集 (0106)

四貫五百文草木村小走給代一、 弐貫文御代官春秋廻村賄代入方一、 三貫文御山奉行同断賄代一、 四貫九百三十弐文菩提野見分
鹿角市史 第3巻 下 (0261)

鹿角時報によると、 六年、 七年、 九年が菩提野、 八年が大曲平、 一一年が乳牛平、 一二年
鹿角市史資料編 第15集 (0083)

乍恐御尋ニ付御答奉申上事嘉永五年六月小平村小枝指村新斗米村此度小平村、 小枝指村、 新斗米村附菩提野草飼場処
鹿角市史 第1巻 (0214)

大湯環状列石調査」『教育あきた」一九五三(昭二八)斎藤忠他『大湯町環状列石』文化財保護委員会後藤守一『菩提野竪穴調査報告
鹿角市史 第1巻 (0219)

特に米代川東岸の火砕流段丘及び菩提野扇状地は、 その数においても注目すべきものである。
鹿角市史 第5巻 (0249)

八 ·桜庭祐橘が菩提野上水穴堰の掘残分二三〇間程を更に普請を続け成就したいと願書を提出した一
鹿角市史 第5巻 (0291)

各町村は春秋二回大掃除を施行することとなる菩提野穴堰の水量増加を図り、 岡堰一、 三八〇間を掘鑿し
鹿角市史 第5巻 (0363)

·藤ノ岱·大谷地·砂同派·柴内山·男平·菩提野
鹿角市史 第4巻 (0098)

最もスケールの大きい開発は、 穴堰を掘って米代川上流の瀬ノ沢川から水を引いて菩提野の開田をしようとする
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