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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第3巻 下 (0356)

新市街地爰災後の尾去沢の復興は、 これまでダム下沢合の低地にあった鉱山町や公共施設等を、 すべて軽井沢方面,楽部(まず一二年中に新築されたのは、 職員社宅が二四棟(四三戸)、 労務者社宅が軽井沢方面に甲五棟,一三年に軽井沢に完成をみたおもな建物は、 協和会館・附集会所工費約八万八、 〇〇〇円)、 山神社工費約二万二,そのほか一四年中に、 軽井沢に武道場、 大弓場、 瓜畑に水泳プール、 庭球場、 陸上競技場、,軽井沢にはそのほか町役場、 警察官派出所、 郵便局などを始め、 鉱山購買会や一般商店などが立並び
鹿角市史 第2巻 上 (0676)

穴戸御山一、 大森〓、 大森御山一、 八幡御山蟹沢村一、 春木沢御=一、 獅堂、 獅堂一、 軽井沢御,、 軽井沢御山、 嘉人者御山一、 前平御山、 小林御山波岡領、 中釣根、 中釣根御山一、
鹿角市史資料編 第6集 (0058)

様江宜御執成被仰上被下度此段奉頼候以上安政三年辰十月花輪町新五郎印御肝入熊之助殿右願書を以申出願之通申付遣廿二日軽井沢助太郎印覚三拾駄三拾五貫文御定一,受取申候御役立之儀ハ前書御定之通相勤永く持地可被成候為念其筋様御末印證文如件安政三年辰-一月肝入熊之助印軽井沢村助太郎殿花輪町新五郎殿前書之通相違無之候以上十一月川村佐平治判工藤與右衛門判在江戸
鹿角市史資料編 第29集 (0026)

右馬為寄置駅々無滞駅立可由候以上四月十五日尾去沢御銅山花輪より野辺地迄処々駅々一、 御用銅百箇四月十七日一、 同百箇同十八日〆右之通覚金四拾両此牛八疋軽井沢清治同七拾両此牛拾四疋軽井沢佐兵衛尾去村幸之助一同三拾五疋此牛七疋解沢村由一同四拾両此牛八疋西道口村太郎同弐拾五両此牛五疋同村重兵衛一同弐拾両此牛四疋同村辰一同五拾両此牛拾四疋花輪町善曲一同三拾両此牛廿壱疋長内村善弥
鹿角市史資料編 第31集 (0043)

立三人居もの有之ニ付、 御押様子御尋被成候得ハ、 津軽御領碇関村多次兵衛助八甚五郎と申者ノ由、 当領軽井沢頭,然ハ旧冬極月廿日以御飛札申入候為御返答同廿六日ノ御飛札令拝見候、 先達テ申通津軽領碇関者ノ由御当領軽井沢頭
鹿角市史資料編 第31集 (0044)

付右三人ノ者共捕拙者共ニ申聞候間、 様子相尋候所ニ其元碇関村ノ多次兵衛助八甚五郎と申者ノ由、 秋田御領軽井沢,御座候恐惶謹言正月十五日正月十五日南部備後守領毛馬内役人藤田太郎右衛門吉田新七両判津軽越中守様御領碇関御役人中様碇関役人よりノ返事御飛札令拝見候、 去月十四日其元御領山見ノ衆御境目廻リ被申候所ニ、 秋田領軽井沢頭
鹿角市史資料編 第1集 (0028)

川岸なる野原に陣を布けり此時銃隊を進め浦山村なる後の山へ登せ伏の有無を捜せけり○暫して此原を出て進み軽井沢村,此岡に篝を焚たる痕の数ケ所見えて未た燼の残り有せハ敵兵此処へ来て今朝あたりまて居たりしと思わるゝ○此時軽井沢村民,我大砲隊少く炮発したれハ向井氏より川を渡して使をおこし発砲は先休られて今少し進み玉へとあるにそ岡を下りて軽井沢
鹿角市史資料編 第12集 (0020)

軽井沢橋之先きまで、 福岡御給人中才井村の住居佐藤専右衞門、 病気につき名代甥なる人、 御出迎にまかり,、 軽井沢橋際まで、 荒屋通御知行あった節の御百姓共、 ならびに新町御出入町人吉六、 御出迎えにまかり
鹿角市史資料編 第30集 (0100)

候為敵大敗、 佐渡手ニテ十二所出口左ノ山の上へ備立蔵人手十二所川向野原へ備立居、 其より追々進軍軽井沢手前迄参,吉兵衛呼寄十一所御警衛被仰出ノ事彼レ是レ時刻相後レ候ニ付、 佐渡手十二所滞陣蔵人手ハサルマ村降服村山村同断、 八ツ時過軽井沢迄進軍宿陣
鹿角市史資料編 第30集 (0102)

蔵人手為後詰大滝村迄相進ミ候処、 敵兵扇田村手前山より嶺へ登り要地を取り押来、 一手ハ本道上り一手ハ米代川向軽井沢迄相進,ミ大小砲討懸候ニ付、 桜庭祐橘サルマ村迄相進居候ニ付軽井沢ノ敵兵追拂候様申達候得共、 相進ミ兼候二付中村泰五郎隊川端
鹿角市史 第5巻 (0593)

亀田森〔小坂町〕萱町〔毛〕萱町〔八〕軽井沢〔大清水〕軽井沢 〔尾〕枯草坂川口〔大館市〕皮投岳(嶽)2下
鹿角市史 第3巻 下 (0128)

変災後ほぼ三カ月にしてようやく復興計画が動きだし、 軽井沢の台地一帯を新たな市街地住宅地となすべく、
鹿角市史資料編 第15集 (0094)

五毛一、 三百八拾三貫九百四拾壱文当三月郷割弐貫弐百三拾四文八分一、 百九拾八貫弐百六拾四文福岡通軽井沢橋新規懸替入方銭壱貫弐百九拾八文一
鹿角市史 第3巻 下 (0526)

尾去沢は初め役場二階、 後に軽井沢に新築、 大湯は字中田に新築された。
鹿角市史 第2巻 上 (0285)

鉄小曲久用枝中新田一村堂沢村子沢倉沢沢畑沢口田田原砲田沢田目三四六四一一九三一四五三四一六下新田一尾去村七七(二二)枝西道口三一三蟹沢2)蟹沢一瓜畑軽井沢一田沢一鍋倉一松館村四五
鹿角市史資料編 第1集 (0025)

辺りは樹木の茂り深くして覆伏を置に便りある処と見れハ銃隊もて探り索るに何事もなけれハ頓て人数を進めて軽井沢村,同十一日未の刻はかりに両将軽井沢を出玉へ此村より半里斗り先途に樹木の茂み深くして危き地の有しよしなれハ
鹿角市史 第5巻 (0354)

秋田魁新報同尾去沢鉱山山神社軽井沢に新築遷座式行う。
鹿角市史 第5巻 (0356)

尾去沢町軽井沢に武道場、 大弓場、 瓜畑にプール、 庭球場、 陸上競技場、 笹小屋に野球場完成
鹿角市史 第4巻 (0228)

箱元高橋氏所蔵一金六円也中石同盟友子箱元一金六円参拾銭也花輪友子十六名分一金弐円六拾五銭也元山友子箱元一金拾円九拾銭也瓜畑友子三十七名分一金壱円参拾五銭也田郡友子箱元一金拾弐円六拾五銭也城山友子三十名分一金弐拾五円弐拾五銭也元山友子九十八名分一金弐拾五円八拾銭也東軽井沢友子七十四名分一金拾四円四拾五銭也田郡友子四十九名分人員三百七拾名一金弐拾四円七拾五銭也石切沢友子三十二名分金額百四十円九拾五銭也金額百四十円九拾五銭也一金拾円八拾五銭也西中沢友子三十四名分合計
鹿角市史資料編 第15集 (0088)

一、 同四拾六貫九百五拾文一、 同百九拾八貫弐百六拾四文明屋敷坪御役銭福岡通荒屋村軽井沢橋懸替入方御普請銭御割付御証文表
鹿角市史 第4巻 (0622)

ダム惨事後は中断していたが、 三十年代に軽井沢地区で復活し、 その後鉱山の衰退に伴い消滅した。
鹿角市史資料編 第29集 (0031)

て三百拾両と申事一て迚も正金之内借難被仰付ニ付、 再応取扱候処左ニ申出候一、 正金拾両此牛数八疋軽井沢伊勢事清治右
鹿角市史 第2巻 下 (0341)

そこから山中沢川を渡って軽井沢とよばれる中ノ坂、 上ノ坂、 中ノうとの山坂を越え、 武道原を縦断
鹿角市史資料編 第29集 (0098)

主役忠蔵附上為御用木場へ被遣候、 有牛有馬之分計も何分誠精為附上可申事ニて被遣候、 右ニ付沢笹小屋軽井沢等之牛士共江
鹿角市史資料編 第2集 (0119)

もの壹ツ相達左太郎より單物足袋壹足書状相達中染ノ下着羽織胴着足袋小使銭等遣呉候様申来候一、 當廿六日軽井沢
鹿角市史資料編 第2集 (0024)

根き御蕎萎麦三歩弐朱代清酒弐斗御肴代共ニ弐両ト百文ニ而御上より中通小使迪不残被下置候、 同夜又吉妹軽井沢
鹿角市史資料編 第30集 (0109)

十一所口ニ砲声相聞得暮二至り弥々烈シク、 夜五ツ時頃松岡東馬使者トシテ桜庭へ申遣出兵申達候事、 然ニ軽井沢戦争甚
鹿角市史資料編 第2集 (0003)

恭助は文政五年八月一日、 御銅山外方主役阿部権八の長子として尾去沢軽井沢に生れた。
鹿角市史資料編 第2集 (0039)

〓之処軽井沢之宇八参候而花軒田村高寺御山之内ニ而留木七千本切出未木ニ而大炭焼出其外内鍋倉桐ノ木沢大木以右切候処
鹿角市史 第5巻 (0562)

がにこざわがにざわかみおおやしき蟹子沢, 蟹沢, 上大屋布, かみこばたかみやまかるいざわかんにんざわ上小畑, 上山, 軽井沢
鹿角市史資料編 第1集 (0029)

より火の手揚しにそ夜に入たれとその辺明くして昼の如くに覚ゆ○此日黄木綿を胴へ巻けり○此夜我手の小荷駄は軽井沢
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