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鹿角市史 第4巻
(0066)
柴内の八郎太郎ほか、 八郎太郎伝説の背景二だんぶり長者…六九七だんぶり長者伝説、 長者伝説の背景三
錦木塚
,…六九4
錦木塚
伝説、
錦木塚
伝説の広がり四鉱山伝説…七〇一光る怪鳥、 鉱山発見伝説五マタギ伝説……
鹿角市史 第3巻 上
(0698)
ここ
錦木塚
、 その命令の音なき声ひびきわたり、 一鹿角の国を憶ふ歌」は、 三九年『明星』第一号に,五音と七音の連続による五四行の長詩で、
錦木塚
にだんぶり長者の二伝説を重ね、 十和田湖と大日堂の描写,さきに未宗に終った「
錦木塚
」に代えて、 さらに詩想を鹿角全域に広げたという趣きである。,-今も猶、
錦木塚
の大公孫樹、 月良き夜は夜な〳〵に、 夏も黄金の葉と変り、 代々に伝へて、
鹿角市史資料編 第16集
(0029)
、 山中より大湯村迄三里拾五丁程一、 大湯村より毛馬内迄壱里廿丁程一、 毛馬内町より
錦木塚
迄拾六丁程但狭布細布織出候覚平,
錦木塚
より二丁程離れ居申候。,一、
錦木塚
より花輪通神田迄九丁程一、 神田村より毛馬内通松山迄三拾弐丁程一、 松山より尾去澤御銅山迄二里程一
鹿角市史 第3巻 上
(0697)
この『あこがれ』のなかに、 前年の三七年『明星』二月号に発表した長詩「
錦木塚
」が収載されていた。,「
錦木塚
」が鹿角に伝わる悲恋の伝説に想を得たことは、 「明星」発表のときの次の後書でも明らかである。,秋田県鹿角郡、 花輪より小坂に至る途上、 毛馬内の南十町許にして路傍に
錦木塚
あり。,略
錦木塚
」は、 にしき木の巻、 のろひ矢の巻(長の子の歌)、 浚の音の巻(政子の歌)の三章、
鹿角市史 第1巻
(0451)
また『伊達郡誌』に「
錦木塚
(伊達郡国見町)。,もとの森江野村大字塚野目字錦塚、 林の中に円丘、 かつて発掘し古鏡を得たという」とし、 鹿角
錦木塚
,ゆつりわたすつかるはなわのこほりけんかしましりひきのかうかたのへんのかうならひにえそのさたぬかのふうそりのかう(以下略)」とある傍点の部分を『青森県史』では「えそのさた」とし、 『岩
錦木塚
鹿角市史 第2巻 下
(0542)
文化三年(一八〇六)、
錦木塚
別当黒沢其石が
錦木塚
の祭礼に詩歌連諧を集めて手向けようとして近隣の俳人,錦木や顕れ出て舞ふ胡蝶(
錦木塚
と題し)素郷飛ほたる下駄の歯丈に汐のさす鹿角東崎
鹿角市史 第1巻
(0453)
九月四日「大湯村より南一里二十町に
錦木塚
というあり、 御巡見所なり。,巡見使の旅程、 巡路は古例にしたがって定められており、 巡見使通行の度ごとに
錦木塚
に巡見所が設けられ,、 公式行事として古川村黒沢兵之丞が
錦木塚
・狭布の里の由来を一巻の巻物にしたがって申し上げ、 持ち,この一事をもっても、 他に何カ処かある陸奥の歌枕
錦木塚
・狭布の里のなかで、 いわば此処が広く知られた
鹿角市史 第4巻
(0961)
菅江真澄の写生「
錦木塚
鹿角市史 第4巻
(0002)
寄贈菅江真澄の写生「
錦木塚
鹿角市史資料編 第16集
(0033)
錦木塚
より弐丁程御座候。 一、 稲荷社右は古川村鎮守錦木平西ノ脇ニ御座候。,一、
錦木塚
右は往来道右之方此処ニ御立場御座候。 毛馬内より十六七丁程御座候。,一、 平内坂と申話右は
錦木塚
より三丁程御座候。
鹿角市史 第2巻 下
(0528)
本章「鹿角の学問」の項に述べたごとく、 『錦木山観音寺縁起に併せ綴じられた無表題の
錦木塚
歌句帳高橋家文書,人々あまたならむに」、 それをまとめることもなく失い去るのは悲しいことだという慨嘆のなかからも、
錦木塚
,そしてこの冊子を編もうとするのは「細布ヲ織なす宿のあるしにして」と、 古川村に住む
錦木塚
別当黒沢其石
鹿角市史 第2巻 下
(0534)
里より十四、 五丁隔て
錦木塚
有り猫の恋錦木もなし夕間暮狭細布同郡古川と云ふところ、 狭の細布の里也,名を知られていた五明は『松島象潟紀行』(仮称)によると、 七月一七日扇田を出て十二所、 松山から
錦木塚
,花輪へ弐里半是より半道斗新出の方へ行って
錦木塚
あり湯瀬へ弐里止宿市之助何化して此の古塚や赤とんぼ捨てある
鹿角市史 第4巻
(0782)
錦木塚
伝説悲恋物語として名高いのが
錦木塚
の伝説で、 古来より和歌や謡曲などに登場
鹿角市史 第2巻 下
(0529)
将易の和歌と並んで秋の日
錦木塚
をたつねて錦木の朽てくちセす幾秋かあわれ色そふ塚の紅葉々秀おなしき日細布,蟀使人愁涙川一雨柳條新錦塚青苔愁殺人昔日幽婚偕老契花開花落為誰春片石苔深緑字生春花秋葉以含情錦機音絶人何在路上唯聞松栢聲毛馬澤賀為憲古川の邊りなる
錦木塚
鹿角市史 第2巻 下
(0346)
ここから低地へ下り浜田村を通り、 古川村
錦木塚
〓御茶屋を設けて休息した。,この区問は、 山中に巡見使昼食休憩の御仮屋、 大明神と
錦木塚
前の二カ所に休息の御茶屋が仮設されたが
鹿角市史 第4巻
(0784)
錦木塚
伝説の広がりこの伝説は古くから都にも伝わっていたらしく、 和歌の題材である歌枕の一つとして、,第3図
錦木塚
鹿角市史 第5巻
(0005)
あをがきやまめぐ青垣山を繞らせるあまか づの天さかる鹿角の国をしのぶれば、 にしきぎづか今も猶、
錦木塚
鹿角市史 第2巻 上
(0441)
尾去沢鉱山発見に因んだ和銅年間の産金・産銅伝説や、 歌枕の地として「けふの細布」「錦木」の故事に彩られた
錦木塚
伝説,このことについて『旧蹟遺聞』「
錦木塚
」の項には次のように記されている。
鹿角市史 第4巻
(0854)
大湯川・古川・狭布の里・観音堂・
錦木塚
を訪れ、 古川村角兵衛蔵書『鹿角縁記』『
錦木塚
縁記』を書写する
鹿角市史 第4巻
(0481)
銅木浜田(
錦木塚
公園内)ここの有無縁供養塔は道標石を兼ねており、 「右にしき木、 左けまない道(享保十六年,かつては
錦木塚
の南を通る道にあった。
鹿角市史 第3巻 下
(0758)
花輪宝生会、 花輪円徳会とも恒例の文化祭には、 花輪公民館において「謡曲の会」の合同公演を行い、 また
錦木塚
祭,
錦木塚
能楽堂建設は共通の大願である
鹿角市史 第4巻
(0849)
内容は
錦木塚
・にしき木・松の木の石雄元の祠などで、 七月一日に月山神社に詣でた記録もある。,そのほか
錦木塚
伝説に関する、 他の人々が作った詩歌も記されている。
鹿角市史 第1巻
(0450)
と記され、 『東国名勝志』には「
錦木塚
は安佐虫、 小湊
錦木塚
の歌=遺錦木はたてなからこそ朽にけれけふの
鹿角市史 第2巻 下
(0033)
月嶺の門下たち、 狩野派の人々、 彫刻=地方仏師たち二、 文芸四八一〓詩歌四八十狭布の里、
錦木塚
歌句帳
鹿角市史 第4巻
(0858)
八月四日、 大湯を出て
錦木塚
に立ち寄り、 巡見使は古例により細布を献上された。,ここでは
錦木塚
伝説や狭布の里の風習を記している。
鹿角市史 第1巻
(0448)
錦木塚
伝説では古川村の娘が鳥の羽毛をまぜて布を織ることから「毛布」の里・郡になったとし、 或いけ狭い,右の二つめの説話では御年貢ニ布三百端としながら、 過納の一端を
錦木塚
伝説に結びつけようとしている。
鹿角市史 第3巻 上
(0699)
啄木が鹿角の国へしめした執着の発端は、 三三年七月金田一京助から
錦木塚
伝説の詳細を聞いたことによるとわれる,されていることからいえば、 「湖近き」が必ずしも十和田湖畔でなくとも、 「丹摺」や「草舎くさはら」の形容から
錦木塚
鹿角市史 第4巻
(0847)
真澄は
錦木塚
の伝説に興味を示し、 古歌を引用しながら詳しく書き留めており、 錦木を束ねて門垣に立てた,古川といふ村につきて、
錦木塚
と聞しやあると尋れば、 稲かる女田の中に立て、 かりあげたる田の面
鹿角市史 第2巻 下
(0527)
また幕府巡見使は鹿角郡に入って必ず
錦木塚
に休息し、 古川村黒沢氏より塚の伝承を物語らせ細布の献上を受,鹿角は、 天下に隠れなき歌枕の里として、 文人墨客が憧憬の心を抱きつつ杖を曳くこともまた多かった
錦木塚
歌句帳庇角
鹿角市史 第5巻
(0516)
南部表鎮撫行政司庁南鹿争議南鹿電気二贄の栅ニオ荷車 · 荷馬車濁川街道濁川番所錦木鬼太鼓錦木史跡保存会
錦木塚
錦木塚
伝説錦木山観音寺
鹿角市史 第5巻
(0014)
表)昭和初期·毛馬内古町通り(裏)昭和初期の花輪の町並【口 絵】青垣山をめぐらせる鹿角の国
錦木塚
大日堂舞楽
鹿角市史 第1巻
(0394)
また、 伝承で名高い
錦木塚
も、 あるいは古墳ではなかったかとも想像される。
鹿角市史 第4巻
(0861)
下浦(毛馬内通)○
錦木塚
曲来。 錦木墳縁記。 細布○月山。 古館。 仁叟寺。
鹿角市史 第4巻
(0074)
写真・図表目次【見返し】〔表)菅江真澄の写生「
錦木塚
」(裏)同右【口絵】大日堂舞楽(五大尊舞)……(水
鹿角市史 第1巻
(0663)
内容は大同小異で、 いわゆる
錦木塚
の伝説を骨子とし、 だんぶり長者の伝説とも関わりをもっている。
鹿角市史資料編 第16集
(0021)
、 来満山中御小休与左衛門御立場同、 大湯御泊南部壱岐江御預之館一、 毛馬内御昼泊御役屋御立場
錦木塚
米代川御渡船場有之御小休松山村毛馬内御給人駒嶺左平御立場乳母懐
鹿角市史 第3巻 下
(0723)
〓年九月号「各地句会報」には、 六月一三日
錦木塚
高野素十先生歓迎句会、 露山、 若水、 松籟、
鹿角市史 第4巻
(0085)
鹿角は九世紀後半、 蝦夷の国として史書に現れてくるが、 古くから中央との交流のあったことを想わせる
錦木塚
伝説
鹿角市史 第2巻 下
(0530)
後年為憲は『鹿角縁起』「秋田叢書第八巻収載を著わしたが、 その四分の一程の分量を割いて
錦木塚
にかかわる
鹿角市史 第2巻 下
(0531)
こと問はん
錦木塚
の玉かしは苔のふりにし昔語りをおりを得てきて見るけふの狭衣もむねあわされハとくるまもなー
鹿角市史 第4巻
(0859)
夏坂から山中沢・折戸を経て大湯・毛馬内・
錦木塚
・神田・松山・土深井・十文字・尾去沢銅山・花輪・大里・大日堂
鹿角市史 第1巻
(0452)
初めて鹿角に杖を曳いた菅江真澄は、 「毛布の渡」を渡し舟で越え、 古川村で稲刈の女に教えられて
錦木塚
鹿角市史 第4巻
(0431)
狭布の細布京の里、 狭布の里などと呼ばれていた鹿角の代表的な伝説の一つに、
錦木塚
伝説がある。
鹿角市史 第4巻
(0772)
石川啄木は長詩「鹿角の国を憶ふ歌」で、 だんぶり長者や
錦木塚
伝説を通じて、 鹿角の古代に寄せる想いを
鹿角市史 第3巻 上
(0690)
彼の紅き灯慕ひて夜毎行くかなし蕩児のうしろ姿よ
錦木塚
露星吟客折にふれ涙も流し打ちもせし思ひ出多き此の古机此
鹿角市史 第2巻 上
(0457)
「(兵之丞は)是レ
錦木塚
の古人といへるもの也。
鹿角市史 第3巻 下
(0725)
露山の句碑は三四年、
錦木塚
に建てられた。 「旅人にはた織る虫や姫の塚露山」。
鹿角市史 第4巻
(0856)
九日は尾去沢銅山、 松山、
錦木塚
を経て毛馬内泊。
鹿角市史 第4巻
(0857)
錦木塚
で細布二反を献上され、 錦木墳縁記を採録。
鹿角市史 第5巻
(0300)
鉱山と鉱山集落同 同石川啄木、 『明星』に長詩「
錦木塚
」を発表。
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