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鹿角市史 第2巻 上
(0533)
○同年四月廿四日一、
きりしたん
長左衛門
、 江戸へ呼ばせられ候ニ付参り候。,○同年四月廿七日一、
きりしたん
長左衛門
一人ニ、 太田平右衛門御歩行摂待源蔵、 太田庄右衛門ヲ付,○慶安五年六月廿一日一、 慶安三年ニ白根より出、 江戸へ上りし
きりしたん
長左衛門
、 御公儀より御赦免,○同年七月廿五日一、 江戸へ
きりしたん
ノ由ニて御上らせ候
長左衛門
、 江戸ニ於て御公儀より御赦免ニて,以上が、
きりしたん
長左衛門
事件にかかわる殆どである。
鹿角市史 第2巻 上
(0532)
○慶安三年二月廿九日○同年三月九日一、 白根御金山より欠落ノ
きりしたん
長左衛門
、 十二所より足軽三人付,○同年三月四日一、 白根御金山ニて訴人罷出で候
きりしたん
長左衛門
、 竝びに訴人白根ノ久兵衛、 七蔵,○同年三月十九日一、
きりしたん
長左衛門
、 会所ニ於て拷門、 口上書壱通、 御横目三上才兵衛、,一、 白根御金山ニて
きりしたん
長左衛門
を訴人仕る七蔵、 久兵衛ニ御定めノ御金下さる筈仰出ださる。,一、 白根御金山ニて
きりしたん
長左衛門
宿仕り候久七、 五人共ニ籠舎仰付けられ候カ、 白根金山中ノ
鹿角市史 第5巻
(0064)
二·二一白根金山の山仕鍛冶久七所に居る
きりしたん
長左衛門
訴人され、 欠落する。,二·二九
きりしたん
長左衛門
、 十二所より返された。,三· 四
きりしたん
長左衛門
と関係者ら盛岡へ送られ、
長左衛門
、 宿久七父子、 組合四人籠舎,三·一九
きりしたん
長左衛門
会所にて拷問、 久七五人組共籠舎御免、 金山中の者共に御預けとなる,数日後江戸登りとなる四 · 五白根金山本山切取間歩跡山越後太郎右衛門請く四·二七
きりしたん
鹿角市史 第2巻 上
(0534)
翌月四日、
きりしたん
長左衛門
、 訴人、 宿主、 五人組の者たちを儀俄八郎兵衛が召連れ、 盛岡,
長左衛門
、 久七親子、 五人組の合せて七人の者は直ちに籠舎に入れられた。,いが行われ、 家老漆戸勘左衛門、 上崎治左衛門、 横目の望月長兵衛、 田代治兵衛の四人による
きりしたん
,
長左衛門
ほか二件についての打合せがあった。,
きりしたん
長左衛門
は江戸へ召喚されることが決まり、 四月二七日二人の御歩行に付添われ、 出発した。
鹿角市史 第2巻 下
(0464)
鉱山とキリスト教〓戸幕府が
キリシタン
禁令を発して以来、 多くの
キリシタン
信者は、 治外法権的色彩の,鹿角においてもやはり数件の
キリシタン
事件が起きている。,寛永一六年(一六三九)の南部秋田領境の切支丹探索事件や、 慶安三年(一六五〇)白根
キリシタン
長左衛門
事件,慶安三年二月に白根金山で、 鍛冶の久七の所に居る
長左衛門
が
キリシタン
であることが発覚した。,
長左衛門
は秋田領十二所まで逃亡したが捕縛され、 盛岡において藩の取調べを受けた後、 江戸へ護送され
鹿角市史 第2巻 上
(0531)
きりしたん
長左衛門
日根沢中へ切支丹宗徒が潜入することを極力警戒していた矢先、 遂に宗徒発覚の一件が起,即ち○慶安三年二月廿一日、 白根御金山ノ山仕鍛冶久七所ニ居り候
長左衛門
と申す者、
きりしたん
ノ由、,右久七ニ預け置候ヘハ、 彼の
長左衛門
走り申し候と、 白根山仕青山圧左衛門、 松下弥右衛門、 嘉藤吉左衛門三人,、 右
長左衛門
秋田領十二所ニて捕り申す旨、 白根ノ青山庄左衛門、 検断左内より申上げたる由、,
長左衛門
白根へ参り次第、 宿久七共ニ召連れ参り候様ニと儀俄八郎兵衛ニ仰付けらる。
鹿角市史 第5巻
(0068)
雫石青山家文書六·二一白根の
きりしたん
長左衛門
公儀より赦免となり、 盛岡に帰った。,七·二五
長左衛門
白根居住を希望し二人扶持を下さる。,同雑書八·一三
長左衛門
白根金山中の者共へお預けとなり、 金山沢中の者、 五人組、 検断請取
鹿角市史 第2巻 上
(0535)
二人扶持を青山庄兵衛と
長左衛門
連判の手形によって毎月花輪御蔵から支給することになり、 「御金山中ノ者共,
長左衛門
は、 明暦四年白根において病死している。,一、 毎年より
きりしたん
御穿鑿ノためニ出ル人入ル人急度吟味仕り候得共、 青山勝左衛門ニ仰付けられ候処,御証文ノ通り人数改万治元年九月十三日石川久膳判白根沢中へ(『青山家白根史蹟』)ての条々は、 毎年
きりしたん
鹿角市史 第2巻 上
(0527)
慶安二年一二月に、 金山奉行に宛てた青山庄左衛門の「恐れ乍ら御訴訟申し上げ候事」のなかに、 数年来
きりしたん
,改めを命ぜられてきたが、 若し
きりしたん
宗旨の者が山中へ入りこみ、 他より届け出られるようなことがあれば,また翌三年二月、 山師の鍛治久七方に止宿していた
きりしたん
長左衛門
が密告により捕縛された時、 久七親子,きびしく連帯の責任を問われたのである切支丹改と留山日根沢中における五人組の結成は、
きりしたん
取締りによって,因みに、 寛永一二年南部領内
きりしたん
宗旨改人数之覚では、
きりしたん
一七六名の内「金ほり一二人、
鹿角市史 第2巻 上
(0028)
大水抜普請四六七〓金山の経営と働く人々…四八三御金山奉行、 山先・山師、 検断・五人組、 切支丹と留山、
きりしたん
,
長左衛門
、 御売米、 白根の金山集落、 御墨引、 金山に働く人々二西道、 その他の金山五一四
鹿角市史 第5巻
(0636)
39長九郎(鹿角山見) 2上214· 215 ·519→町井長九郎長慶天皇1525
長左衛門
,(花輪町検断)2上398· 399
長左衛門
(
きりしたん
)2上493 · 497·,; 499 · 500 · 5012下 424
長左衛門
(花輪町宿老) 2下32 &,#183; 37
長左衛門
(花輪新町)2下134長作(高屋村)2上357張作霖長三洲3下623上616
鹿角市史 第5巻
(0075)
三·二六熊沢物留番所の御番に上野久兵衛が命ぜられた六·一九白根金山預りの
きりしたん
,
長左衛門
病死す。,九·一三白根金山にて
きりしたん
穿鑿の人数改めと米改横田宇左衛門手控雑書めを三ヵ月毎に行うよう
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