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鹿角市史 第1巻
(0558)
に出兵したならばその留守を衝いて比内を取返し鹿角をも攻めとらんと準備していたが、 その前にいち早く
阿仁
,寄手は
阿仁
城主加成播磨守、 米内沢城主右馬頭、 桧山作兵衛尉、 野代伝右衛門尉、 船川仁兵衛尉,南部方の大湯五郎兵衛尉、 五城目内記、 萱森入道ら真先かけ突立てれば秋田勢は叶わず
阿仁
の境迄退き、,さらに南部勢は追立て
阿仁
近所まで攻寄せた。,ル、 大
阿仁
の城主加成常陸介、 嫡子右馬頭らを討たれ、 この上は弔い合戦に大将と組まんと無二無三
鹿角市史資料編 第14集
(0052)
一、 慶長歩判五拾両右ハ百両之内五十両ハ、 九郎兵衛上方へ母同道ニ而登り申候時遣候曲、 此代り
阿仁
長坂吹金六百五拾匁被調下返済申候,一、 白根七拾七匁五分一句一、 同封印四拾六匁四分句一同吹金四拾八匁一分一句〆百七拾八匁一、
阿仁
金百拾四目一句,、 砂金正ミ九匁六分一句一慶長歩判弐両弐歩包〆宝永三年とら三月九日九郎兵衛世々御ゆつり申金一、
阿仁
吹金六百目,灰吹銀壱貫六百四拾九匁五分、 大判金一枚有り代々譲金覚小玉ニ而一、 白根吹金五百匁五句右ハ九郎右衛門代譲金也〓
阿仁
金百拾四目九郎兵衛代譲一
鹿角市史資料編 第24集
(0023)
壱躰之事可有之と奉存候様、 御役銭次第二御座候哉御聞合申上候、 右旁早速御返書奉願候、 惣左衛門
阿仁
御備米取調,御出之前廉御通達被下度候、 他出等之事繰合可申如斯申上候小吏御拝顔嬉しく可申上候、 以上一同十六日大
阿仁
小
阿仁
手行持江御用状左之通驛送,且ツ当月初ふニ取纒申上候様被仰渡罷有候所今以書上申出も無之候、 早々取調可申出候、 右之趣大
阿仁
小
阿仁
村々肝煎共江其方,より可申渡候右可申達如此ニ候、 以上八月十六日志賀文五郎大
阿仁
荒瀬村肝煎殿小
阿仁
鎌ノ沢村肝煎殿一同廿一日熊谷氏江御用状左之通驛送
鹿角市史 第2巻 上
(0481)
白根七拾七匁五分壱句、 同封印四拾六匁四分一句一、 同吹金四拾八匁一分一句〆百七十八匁一、
阿仁
金百拾四目一句,砂金正ミ九匁六分一句一、 慶長歩判弐両弐歩一句宝永七年とら三月九日九郎兵衛達ニゆつり金一、
阿仁
吹金六百目六包弐百匁一包
鹿角市史 第1巻
(0557)
〓、 愛季はこれを聞き、 米内沢
阿仁
常陸介資清一門、
阿仁
播摩守一門、 片山駿河守、 山田十郎左衛門,米内沢常陸介はここで討死せんと馬首を立て直したが、
阿仁
播磨守は大館の城に籠り再挙を図るこそ良将の策
鹿角市史 第1巻
(0560)
られた南部方部将の萱森判官とは何人であるか明らかでないが、 当時両軍に聞えた勇士だったとみえ、 大
阿仁
鹿角市史 第3巻 上
(0095)
かくて鹿角郡は、 秋田郡北半の南北比内・
阿仁
部とともに第二大区に含まれることになった。,毛馬内通を六小区、 花輪通を七小区とする二つの小区であったが、 のち九月一四日付県觸示により、
阿仁
六
鹿角市史 第3巻 上
(0455)
その間東北諸山の山況について教示を得んとする客が絶えることなく、 九年盛岡瀬川安五郎、
阿仁
官山一條基緒,の依頼により
阿仁
・荒川鉱山を、 一一年福島県下第六銀行支配人村井定吉の依頼により青森県下の諸鉱山を点検
鹿角市史資料編 第26集
(0052)
御銅山より秋田
阿仁
銅山迄道法一、 御山元より土深井迄壱里半一、 同所より沢尻迄壱里一、 同所より,、 同所より前田迄壱里拾丁一、 同所より埃堀迄拾三丁一、 同所より吉田迄半り余一、 同所より
阿仁
水無
鹿角市史 第5巻
(0049)
阿仁
米内沢塚の台で秋田方奈良惣五郎に南部方萱森判官が討ちとられる。
鹿角市史 第3巻 上
(0415)
鉱山の動向一、 激動する政局と尾去沢鉱山貿易用産銅と技術の革新銅山としての尾去沢鉱山は、 秋田の
阿仁
鹿角市史 第1巻
(0078)
/露出地なし鉱脈鉱床は、 尾去沢鉱山で代表され、 不老倉鉱山、 尾去沢の隣接地である大葛、
阿仁
鹿角市史資料編 第24集
(0024)
廿日出し御壱封昨日相達則二井田村へ什送遣申候一、 和右衛門より急用申上候ニ付仕送願故指上申候一、 小
阿仁
,より新銭書上指出候故、 此度指上申候五ケ村ニ而惣銭六拾五貫六百三拾三文、 右村々肝煎上候願書大
阿仁
鹿角市史 第2巻 上
(0480)
所収覚一、 慶長歩判五拾両右ハ百両之内、 五十両ハ九郎兵衛上方へ母同道ニて登り申候時替候由、 此代り
阿仁
長坂吹金六百五拾一匁二分調返済申候
鹿角市史資料編 第29集
(0040)
、 九升但壱日六合ツ〻三日分如斯円秋田
阿仁
出生長七四十五同岩吉三十同久蔵廿五同要吉廿八御国出生権五郎
鹿角市史 第5巻
(0688)
安土三左衛門2上207淳宮3下335 →秩父宮アナトリィ司祭 3上607·608·609
阿仁
,資清(常陸介)
阿仁
播磨介15071507阿部新3下487 · 565 · 567
鹿角市史 第2巻 下
(0531)
良意、 江都真、 関村清行、 薩州川内小倉薩善、 盛府新渡戸平常訓、 秋田能代政直、 秋田
阿仁
元何
鹿角市史 第5巻
(0047)
同永禄九(一五六六)九月頃、 安東勢由利七騎衆·松前守護蛎崎·
阿仁
神成、 比内
鹿角市史資料編 第27集
(0064)
無證拠之貸金銀同様一切取揚載許不申付候条此旨可相心得事辛未六月太政官一徳山藩廃候事盛岡縣下油町庄右エ門五十三才囘六月太政官辛未七月十八日前同断羽後国秋田郡
阿仁
鹿去村元重覚院観賞三十八才未八月三日一藤川原并牛渡
鹿角市史資料編 第2集
(0036)
はとふり引申度而己ニ色々と介抱いたし此節は玄寿老居合是非帰度旨〓りに被申候得共押而御留申置候由然る処田郡寄
阿仁
,二月四日又吉殿出勤日限ニ候処御内室病気且御同人も不快之由ニ而下廻り□願申上る此節秋田より高橋久右エ門と云る人元
阿仁
銅山床屋主役相勤當時隠居之趣
鹿角市史 第3巻 上
(0104)
斎藤重光書記役一等給(同六円)清水甚右衛門(大館)囘三等給(同四円)長山源八郎(同)〓四等給(同三円)山田忠胤(
阿仁
合
鹿角市史 第3巻 上
(0495)
○三九年暮に不老倉鉱業所長小関金之輔転勤し、 後任に
阿仁
鉱山長松下親業が着任。
鹿角市史 第4巻
(0791)
これが藩境を越えて
阿仁
地方まで広がっているのは、 鹿角から鉱山技術を持った人々が移住したり、 通婚圏
鹿角市史 第3巻 下
(0546)
二二年五月第二回総会を尾去沢鉱山保養所で開き小坂、 花岡、 相内、 堀内、 不老倉、
阿仁
合
鹿角市史 第2巻 下
(0538)
其峯・かゝみ百川・梅存・秋田無外・同白坂櫟堂・同鶯起・同池柳・恭康・玩紫葛吾・狭布里麟趾・江都山人・
阿仁
里英
鹿角市史資料編 第29集
(0014)
三寸弐分四方之煙箱薄板ニて拵替事ニ被仰付但三本以上覚一、 御米壱斗六升弐合但三人ニ付一日六合宛秋田
阿仁
出生辰三郎廿三才同政吉廿五才同倉八四十才同徳太五十五才秋田院内出生熊助三拾才同千代吉廿弐才同吉太郎三十才伊達出生富治廿八才同乙蔵三十才
鹿角市史 第5巻
(0211)
三 ·毛馬内町田中平左衛門、 秋田鍛冶衆并
阿仁
銅山使用の鉄取引を行い、 秋田領沢尻にて大野鉄
鹿角市史 第2巻 下
(0142)
これらの鉄は、 比内一円と
阿仁
方面へ捌かれたという。
鹿角市史 第2巻 上
(0719)
尾去沢銅山は既に秋田
阿仁
、 伊予別子・立川とともにわが国三大銅山であり、 長崎貿易御用銅の内宝暦四年
鹿角市史 第2巻 上
(0482)
山本家で代々の譲り金として蓄えていたのは、 慶長歩判と、 白根をはじめ
阿仁
、 大葛各金山の吹金であった
鹿角市史 第3巻 上
(0421)
薩摩藩に雇傭され、 明治元年明治政府に雇傭された最初の鉱山関係者として、 生野銀山を中心に東北地方の
阿仁
鹿角市史 第3巻 下
(0686)
にもとづき平成一年三月に「北緯四〇度シーズナルリゾートあきた」をキャッチフレーズにした、 県の「八幡平・
阿仁
鹿角市史 第3巻 上
(0398)
政府は自ら官営諸鉱工業を起し、 近隣に例をみれば明治二年に官営化した小坂銀山をはじめ、
阿仁
銅山、
鹿角市史 第3巻 上
(0696)
仏業の花輪滞在中における作品と目されているのは、
阿仁
鉱山を描いた「鉱山作業図」のほか、 市内に蔵
鹿角市史 第5巻
(0330)
和歴(西暦)一 般 的 事 項同同物産館と改称す皇太子殿下、 本県行啓
阿仁
部農民同盟の結成一一月前田村庄司家小作争議同一日市町
鹿角市史 第5巻
(0436)
放送開始一〇月利根川進、 ノーベル医学生理学賞受賞決定同同国の大規模リゾート整備構想に田沢湖·
阿仁
鹿角市史 第2巻 上
(0695)
であったので、 幕府は寛政六年に従来の輸出銅の額を改め唐蘭合わせて一八五万斤とし、 割付高を秋田銅(
阿仁
鹿角市史 第2巻 上
(0677)
によって、 やむなく藩直営の体制に入らざるを得なかったのと全く同じ明和二年(一七六五)に、 秋田
阿仁
銅山
鹿角市史 第3巻 上
(0246)
三〇使用された舟は花輪からのものが
阿仁
舟、 毛馬内からのものが小廻舟と呼ばれ、 いずれも五石・一五石
鹿角市史 第2巻 下
(0109)
その中には白根吹金を始めとして、
阿仁
金、 大葛金、 長坂金などと記され、 鉱山との関わりを思
鹿角市史 第2巻 上
(0479)
一枚四〇匁八に封包されて幕府へ上納されていた〓お、 『梅津政景日記』慶長一九年七月一四日の条には、
阿仁
金山
鹿角市史 第1巻
(0063)
小坂・尾去沢・花輪・不老倉・花岡・
阿仁
の各鉱山等にみられる鉱床は、 まさにこの新第三紀・中新世のグリーンタフ
鹿角市史資料編 第29集
(0034)
右二付米相場是迄壱升三百文より三百弐拾文位之所、 正全二て調候得は壱駄八斗廻ニて壱両弐歩之よし二候覚一、 秋田
阿仁
小沢出生文蔵年三十八才右之者永住日雇働被仰付被下度候
鹿角市史 第4巻
(0855)
その後、
阿仁
の端、 十鎖・左志内・折壁・番所・しとろ・田山と経て盛岡に向かった。
鹿角市史 第3巻 下
(0422)
秋田県で先鞭をつけたのは
阿仁
出身の木村文助、 およびその教え子の大館女子小学校の高橋忠一である。
鹿角市史 第5巻
(0341)
)一月 秋田県農民大会を秋田市に開く二月 県失業救済農山漁村臨時対策低利資金を設け同貸付規程を定む同
阿仁
鉱山休山
鹿角市史 第1巻
(0440)
秋田県北部のいずれかの地と考えられ、 吉田東伍博士は「北秋田郡
阿仁
の近傍に荒瀬という地あり。
鹿角市史 第1巻
(0443)
は秋田県内で、 上津野から北秋へと平地を通って来る春風とは別に、 上津野から八幡平あたりを越えて
阿仁
鹿角市史 第3巻 上
(0676)
串脩は
阿仁
の庄司〓風天保五明治三八年)ともしばしば文通し、 圭脩の仲介によって、 此一は七年九月鹿角
鹿角市史 第3巻 下
(0668)
大館からは鷹巣
阿仁
方面と、 鹿角は花輪局に専自便が出発(便大花花)し、 午前六時台には花輪に到着する
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