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鹿角市/鹿角市デジタルアーカイブ

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鹿角市史 第1巻 (0160)

リンネソウ(スイカズラ科)常緑の矮生低木で亜高山から高山帯へかけての針葉樹林内に稀にみられる。,い、 エゾツツジ(ツツジ科)高山帯にはえるツツジで、 茎は地をはい上部は斜上して一〇~三〇センチとなり,1、 ミヤマヒナホシクサ(ホシクサ科)高山の池塘などにみられる二~八センチの小形の植物。,分布・東北地方の高山湿地。 8、 コメツガ常緑針葉高木で亜高山の岩礫地に生える。,〓、 イワヒゲ(ツツジ科)常緑矮生低木で高山の岩隙にみられ、 白い花を下向きに咲かせる。
鹿角市史 第1巻 (0136)

小豆沢一七三メートルとなっているが、 周囲には一六一四メートルの八幡平をはじめ一〇〇〇メートル前後の高山,十和田湖付近や八幡平地域には、 冷温帯落葉広葉樹林の象徴ともいえるブナを含む原生的自然から、 亜高山帯,・高山帯の、 アオモリトドマツ・ハイマツなどの針葉樹群落や、 豊富な高山植物・湿原植物までみられるという
鹿角市史 第1巻 (0152)

ハイマツは本州では一般に高山帯に見られる低木であるか、 本県の場合、 一四〇〇メートル付近から出現,しかし本県の高山はいずれも高度が低いためその分布帯は〓りようでなく、 比較的まとまった群落としては、,したがって、 八幡平のハイマツの植生は本質的な高山のハイマツ帯が成立しているとはいえない。,しかし小群叢ではあるが、 垂直分布上、 高山帯に近い景観がみられることは興味深いことである。
鹿角市史 第1巻 (0159)

ガンコウラン・ハイマツの矮性低木の群落におおわれているため、 八幡平より低い標高でありながら、 高山帯,分布・北海道・東北北部の高山。,(花期、 九月上旬)岩手県を中心に東北の高山(岩手山・早池峯山・八幡平など)にしか産しない。
鹿角市史 第1巻 (0135)

枝の差が大きい日本では南と北とでその植生や植物相(フロラ)に違いがみられ、 また平地から高山へ登る程気温,はこの区分からすれば、 由利海岸地方のごく限られた一部地域にみられるタブ林や一〇〇〇メートル以上の高山地域
鹿角市史 第1巻 (0151)

トル付近では、 全くアオモリトドマツの純林の広がる亜高山針葉樹林帯へと移りかわる。,で群落の成立しているのは八幡平から乳頭山にかけての一帯と森吉山などに限られ、 鳥海山など日本海側の高山
鹿角市史 第2巻 下 (0341)

大明神を過ぎ「鉢巻ト唱ふ処は此処ならむカ、 下より見れば高山之ナカハ九分通上之処ニいかニも鉢巻之様ニ,此所免角高山なれば鹿角郡の山里眼下ニ見卸し絶景也。 是より段々行き小柴峠と云在り」「大柴峠。,此処は来満之絶頂ニ而随分高山也。 (略)是より跡下り坂也。
鹿角市史 第4巻 (0117)

南部の高山に囲まれた八幡平地区は市内でも特に冬の積雪が多く、 また夏の東風(ヤマセ)の影響を受けやすかった,冬になって東側の高山にぶつかる西風がたっぷりと雪を降らせると、 鹿角はたちまちスキーの季節となり、
鹿角市史 第3巻 下 (0396)

群生するアオモリドトマツや高山植物も豊富で、 乾湿両用の植生が展開され、 標高一、 〇〇〇メートル,高山植物の数が多く珍重すべき品種に富むことは、 昭和二年一帯を踏査した植物学の牧野富太郎博士によって
鹿角市史 第3巻 下 (0405)

写真で八幡平を紹介したのは尾去沢の小笠原貞吉で、 絶勝八幡平や高山植物、 泥火山等の撮影は学術的にも,鹿角タイムス社の阿部真平も山にあって登山者の便をはかり高山植物の紹介につとめていた。
鹿角市史 第2巻 上 (0133)

惣高御蔵高藩の直轄地の石高蔵高藩の直轄地の石高地高山守・堰守・御境古人の持地に対し諸上納金の一部あるいは,天保肥高山守・堰守・御境古人の持地に対し諸上納金の一部あるいは全部を免税にする土地。
鹿角市史 第3巻 下 (0176)

尾去澤吉田重明渡邊隆藏第一分團高杉新一郎高杉三太郎大湯米田恒太郎守田新一第一分團諏訪重忠大里芳郎毛馬内大里鶴三豊口季治第一分團高島庄治田口龜治第一分團高杉新一郎高杉三太郎第二分團秋池小次郎前田甚内第三分團杉山吉衛高山重雄第一分團諏訪重忠大里芳郎第二分團柳舘吉彌黒澤啓吉第一分團高島庄治田口龜治第二分團成田喜太郎成田林治第三分團齋藤雄次郎齋藤喜代助第二分團齋藤勝治畠山豊龍第三分團田中佐一郎淺石市郎第四分團阿部貞治阿部岩蔵第五分團成田元吉阿部源治第六分團栗山源悦栗山貞一第一分團工藤祐幸小館祐次郎第二分團兎澤千代治兒玉仁太第三分團木村嘉一郎山本喜七郎宮川阿部嘉平畠山小次郎第一分團小林貞治阿部龜太郎柴平兎澤繁治石川善藏第一分團工藤祐幸小館祐次郎
鹿角市史 第1巻 (0191)

玉川間は植生が標高によって多様化しており、 ビンズイ・カヤクグリ・ウソ・メボソムシクイなど、 亜高山帯
鹿角市史 第1巻 (0170)

熊沢川の支流・夜明島川は八幡平山系の三ツ又森や、 二方高など一〇〇〇メートル以上の高山から源を発して
鹿角市史 第2巻 下 (0544)

、 生民、 松月、 工巣、 専、 谷、 其友、 元丸、 片、 壽松、 三四、 高山
鹿角市史 第2巻 上 (0470)

翌日早く此処彼処と掘るうちに、 岩石の中に黄色く〓道金山8第2図西道金山跡(中央の高山が「湧上り」)
鹿角市史 第1巻 (0146)

人々の詩情をさそうミズバショウは、 尾瀬の代表的植物のように思われているが、 東北地方では各地の高山
鹿角市史 第4巻 (0782)

奥浄瑠璃本『檀毘盧長者之本地』などが今に伝えられており、 鹿角を訪れた菅江真澄や高山彦九郎などもこの
鹿角市史 第1巻 (0182)

それによると、 カモシカの生息地域は、 決して従来考えられていたように、 深山・高山帯にのみ生息
鹿角市史 第4巻 (0260)

菅江真澄『けふのせはのの』天明五年(一七八五)○古川古松軒『東遊雑記』天明八年(一七八八)高山彦九郎『
鹿角市史 第1巻 (0149)

後生掛付近からふけの湯付近にかけてはブナ帯の上限にあたるが、 それとともに山麓帯上部から亜高山帯の植生
鹿角市史資料編 第30集 (0102)

ノ事八月廿日蔵人手兵隊今暁七ツ時過人数繰出し三哲山下左ノ方へ相廻り、 夫より川を越山へ登り十二所後高山,佐渡殿手追々進軍米代川向山々中段より敵大砲打出し候ニ付桜庭手へ相廻し候、 太田新太郎預り井上範之助鼠入與一郎預り二小隊高山
鹿角市史 第1巻 (0148)

となり、 さらに後生掛ふけの湯と一〇〇〇メートル前後まで続くが、 また大沼付近からは、 この中に亜高山帯
鹿角市史 第4巻 (0116)

その周辺には山林が広がり、 高山がつらなる。
鹿角市史 第2巻 上 (0035)

所々温泉などもあり、 馬草・薪も自由にして一体に能き所也」としながらも、 「御城下(や)三戸への通路は高山
鹿角市史 第4巻 (0255)

○南部御領温泉場所大概『従花巻夏油温泉一見記』延享四年(一七四七)・高山彦九郎『北行日記』寛政二年(一七九
鹿角市史 第1巻 (0195)

時代で、 この時期はモリアオガエルの分布は平面的には鹿角市一帯に及んでおり、 垂直的にも平地から高山帯
鹿角市史資料編 第16集 (0018)

福岡御昼御役屋御小休金田一町日野屋喜兵衛御立場三戸通簑坂上一、 三戸御泊御役屋御小休三戸御給人馬場市右衛門御立場薬師長根高山
鹿角市史資料編 第23集 (0032)

七右衛門殿御子息專太郎殿同道ニて罷上り候所、 内御役人様中津御定目役地一、 高拾石三斗六升五合内六斗左兵衛地本高山治左衛門様伊藤勝右衛門様湯瀬新六様右御
鹿角市史 第4巻 (0092)

〇〇三メートルの四角岳がずらりと立ち並び、 南端には一、 六一四メートルの八幡平をはじめとする高山地帯
鹿角市史 第4巻 (0119)

夏の東風は東の高山から吹き下ってくる冷涼のヤマセで、 強風ではないが冷害をもたらす恐しい風である。
鹿角市史 第2巻 下 (0381)

大湯を概観して、 寛政二年(一七九〇)高山彦九郎は「上の湯の万之なるが家に宿る。
鹿角市史 第2巻 上 (0457)

(一四年間)八八反石の細布について、 寛政二年(一七九〇)九月古川村の黒沢兵之丞家を訪れた尊王論者高山彦刀郎
鹿角市史 第2巻 上 (0674)

八幡平大佛石峯続、 御境より百間相除キ御銅山附ノ積り一、 東ノ方兄川通福岡境のさかけ峯続、 黒沢高倉尻高山峯続
鹿角市史 第1巻 (0125)

〓山間盆地の内陸的気候鹿角市は秋田県の最北東部、 大平洋と日本海の中間にあり奥羽山系の諸高山が周囲をかこみ
鹿角市史 第5巻 (0180)

にすべき事を命ず四月幕府、 帰農を奨励する六月ロシア使節ラクスマン同同ら松前に到着する林子平獄死する高山彦九郎自殺
鹿角市史 第5巻 (0126)

和歴(西暦)一 般 的 事 項間祿高四分の一の借上を布令す同 藩、 領内高山を書上鹿角角関関係係事項出
鹿角市史 第1巻 (0145)

ミネザクライザクラ高山性のサクラで八幡平などの山の高所にみられる低木。
鹿角市史 第2巻 上 (0366)

他郷・他領への払馬鹿角は確かに馬産地たる南部領の一角には違いないが、 地形的には四方を急峻な高山に囲
鹿角市史 第5巻 (0465)

3464190 · 7772上424 2下341 4172北奥路程記 漆戸茂樹北行日記 高山彦九郎北投石
鹿角市史 第3巻 上 (0695)

三〇また、 石鳥谷渡部家に明治丁酉歳)・楫斎書の「清風明月用不竭高山流水情相投」という一四字の大額年
鹿角市史 第5巻 (0175)

九·高山彦九郎鹿角に入り大湯、 錦木塚を経由し郡同内を通過する。 同159
鹿角市史 第5巻 (0330)

大正一五 二月 矢立村長走風穴高山植(一九二六)物群落天然記念物指定同秋田県労働組合協議会三月生まれる
鹿角市史 第3巻 下 (0398)

申す迄もなく八幡平は海抜五千三百尺の高山であるのみならず、 風色眺望にすぐれ且つ幾多の神秘を宝蔵する
鹿角市史 第1巻 (0158)

もうせん峠一帯は、 高山乾原の最も顕著な植生がみられる場所で、 冬のきびしい北西の季節風が吹きぬけるため
鹿角市史 第4巻 (0256)

にめずらしき名湯も奥国の果てなれば、 世の人是れを知るなし」と、 大湯が奥州にあることを嘆いている高山彦九郎
鹿角市史 第4巻 (0493)

花輪市の起は詳しくはわかっていないが、 寛政二年(一七九〇)九月二十八日に通過した高山花輪市彦九郎は
鹿角市史資料編 第33集 (0036)

無程罷越可申承候以上中村武左衛門七月廿六日中村武左衛門石田義左衛門殿五二昨日ハ御出被下候由、 罷出不得御意候、 弥明日御帰ノ由御太儀存候、 先達テ御咄申候高山御用仕切手形
鹿角市史 第2巻 下 (0276)

まことに虎高山にのぼってふもと百のけだもの子を産みよろこぶといえり。
鹿角市史 第2巻 下 (0335)

のよし、 御番所前少し過て亦米代川の橋打わたり小高き坂を登るに漸く馬の足立へきほと道せはく、 左は高山屏風
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