概要
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江月山玉祥寺の山門を入ると、左手に墓地があり、玉垣の囲いの中に宝篋印塔(ほうきょういんとう)が2つ並んでいる。20代為邦、21代重朝のものである。 『国郡一統志』によると、この寺は1452年(享徳元年)、20代為邦が菩提寺として建立したとある。 この寺院に保管されてきた、いわゆる玉祥寺文書は、『熊本県史料 中世篇第1』に一部収録されているが9通ある。長禄4年(1460)為邦による寺領安堵状、寛正4年(1463)の玉祥寺書付寺領次第、荒木日向の寺領文書、近世期の宛行状3通などである(現存は2通)。寺領は菊池・合志・山鹿の3郡に合わせて32町余あり、その他に玉名郡内にも寺領を有していたことがわかる。
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