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概要
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この橋は、熊本-菊池-小国を結ぶ小国往還で、菊池川に架けられた最短ルートの交通の要所で、交易上重要な橋であった。 下河原村庄屋、忠兵衛の『永代記録』によれば、文政6年(1823)冬、備前国阿津村の石工、勘五郎(のち小板姓)の手によって竣工したが、文政12年5月の洪水で流失している。流失した旧橋の代わりとして、130mほど上流に架け替えられたのが現永山橋(石造単一アーチ橋)で、明治11年(1878)に竣工した。石工棟梁は種山村(現八代市東陽町)石工、橋本勘五郎である。 使用の石材は近くの山、上崩迫より切り出された。橋の特徴である丸型の欄干は名工勘五郎の手法が顕著である。 長さ61m、幅4.6m、高さ17mで、輪石は45枚あり、架橋当時そのままの形が残っている。学術的にも非常に価値が高いといわれる。 2016年の熊本地震で欄干の一部が壊れた。
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