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概要
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華巌山広勝寺跡の境内、小堂の東側6mの基壇に建つ高さ70cm、幅1辺24cmの角塔があり、享禄4年(1531)没の合志隆岑の墓とされる。 正面には、下部に蓮弁を刻み、次の碑文がある。右に「前勢州太守広勝居士」、中に「南無阿弥陀仏」、左に「干時享禄四辛卯年二月廿七日」と記されている。 碑の他の3面には、蓮弁の上に円で囲んだ梵字が刻まれている。この上に高さ23cm径33cmの五輪塔水輪が乗せられ、蓮弁の上に円で囲んだ梵字が刻まれている。 また、この碑に隣接して数個の塔碑群がある。 『肥後国誌』によれば、合志隆岑の墓は、熊本市寺原町の庚申堂境内にあったものを、享保12年(1727)に禅定寺面山和尚に乞われて現在地に移した、とある。
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