概要
|
菊池飛行場は、知覧飛行場と同様、福岡県にある大刀洗陸軍飛行場の分敞(ぶんしょ)として計画され、昭和10年から6年かけて完成した。主たる施設は陸軍飛行学校(菊池教育隊)であったが、通信学校や陸軍病院も併設され、この給水塔は主に陸軍病院の給水施設として設置されたものである。 終戦後、給水塔はこの地に設置された国立病院(現在は合志市)の給水施設として、また、入植してきた開拓団の生活用水として利用され、一時期は付近数百戸の民家と工場の用水をまかなうなど、平成19年の使用停止までの長い期間、地域の復興に大きく貢献した。 飛行場跡の施設としては給水塔のほか弾薬庫、油倉庫、格納庫基礎などが残されているが、軍事関連施設として建造され、終戦後の復興に大きく貢献した給水塔が地域に果たした役割はとりわけ重要である。 <画像1>高架水槽(給水塔) <画像2>弾薬庫跡 <画像3>木造格納庫跡 <画像4>油倉庫跡 <画像5>通信教育隊跡碑 <画像6>部隊営門跡・慰霊塔
|