概要
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菊池市図書館の前身「菊池書籍館(しょじゃくかん)」の生みの親。明治時代から大正時代にかけて活躍した。 1843年(天保14)4月4日、宇土郡宇土町にて宇土藩士の長男として生まれる。宇土藩校の温知館(おんちかん)で学び、若くして詩文経学の才能を認められ、栃原塾、樹徳斉塾など私塾の塾長(今でいうところの校長)を歴任した。 1871年(明治 4)には、熊本洋学校の漢文科教授を命じられ、新しい教育に携わった。1872年(明治5)学制施行後、県内で初めての小学校教科書「勧孝邇言(かんこうじげん)」、「童蒙読本(どうもうとくほん)」「日本史略」など11種を発行し、注目を集めた。 1881年(明治14)、山鹿・山本・合志・菊池郡長に就任し、県下の自治制に貢献(こうけん)。1887年(明治20)には、菊池書籍館(きくちしょじゃくかん)の設置を県に要望し、同年9月21日に熊本県で初めての公営図書館を設立した。 退官後は教育界だけではなく、官界、実業界などの発展にも功績を残した。1890年(明治23)に自助株式会社の社長に就任。翌年、盟友・林正常の辞任に伴い、宇土第一三五国立銀行の第四代目頭取(とうどり)に就任し、銀行の経営者としても手腕(しゅわん)を発揮した。さらに、1892年(明治25年)、「女子部」の存在が特徴的な鶴城(けいじょう)学館設立に関わり、中等教育、女子教育にも尽力した。 勝衛はその幅広い教養をもとに、政治、経済などさまざまな分野において常に時代をリードした。すぐれた学者というだけではなく、明治維新後の熊本の教育界、官界、実業界の発展に大きな功績を残したといえる。
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