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目録ID b00048
氏名 高木元右衛門
氏名(カナ) タカギモトエモン
氏名(ローマ字)
別名 高木直久
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
著者
著者(カナ)
作成者(ローマ字)
宛先
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
出版者
製作者(カナ)
製作者(ローマ字)
生没年 1833(天保4年)~1864(元治元年)7月19日
製作年終
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件名(カナ)
件名(ローマ字)
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関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容細目
内容細目(カナ)
内容細目(ローマ字)
概要 江戸末期に生きた肥後藩士(ひごはんし)。名は直久、通称が元右衛門。菊池郡深川村に、高木甚之助(じんのすけ)の二男として生まれる。高木家は代々、軍陣笛方(ふえかた)の家柄で元右衛門もこの家業を継いだ。また、幼い頃から武芸に優れており、特に剣術・槍術の名手で、肥後藩内・外の他流試合で名が知られていた。 尊皇攘夷(そんのうじょうい)の志が強く、1862年(文久2)、長岡(細川)護美(もりよし)の禁門警備に河上彦齋(げんさい)・中津彦太郎(菊池郡水次村出身)などとともに付き従う。翌文久3年5月には、肥後藩選出の親兵となった。同8 月の政変の際には七卿を護衛し、長州に脱藩。その後、三条実美(さねとみ)の命により深川策助と名前を替え、上方に潜り込んで情勢を探った。 1864(元治元)年6月5日、通称「池田屋事件」で元右衛門は窮地に陥るが、新撰組の近藤勇に脇差(わきざし)と短刀で応戦し包囲を脱出した。 1864年(元治元年)7月、長州藩の京都攻撃(禁門の変)が始まると、その先鋒となり、蛤門(はまぐりもん)に突入するが、銃弾に倒れ32歳で亡くなった。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 菊池市立図書館
原資料の所在地
資料番号
管理記号
カテゴリ区分
資料種別 人物
資料群名
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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情報源(出版物・関連資料) 『熊本県大百科事典』『菊池むかしむかし』
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