概要
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木庭の佐々家所蔵の「菊池萬句連歌」という巻物。連歌は中世の日本文学の中では「つらねうた」とよばれ、他国に類のない日本独特の詩の形態である。一人が「五・七・五」の句を詠むと、他の一人が「七・七」の句をつけ、「七・七」が詠まれるとまた別の一人がそれに「五・七・五」をつける。このように歌を次々と連続させて互いに詠みあいながら百句を一つのまとまりとするものである。 文明13年(1481)の秋、隈府にて一日一万句を詠む連歌の会が開かれ、21代重朝の館をはじめ、城右京亮、隈部上総介忠直、竹崎伊豆守らの重臣の邸宅など20箇所に句座が設けられ、「月松」「月萩」などのように、すべて「月」にちなんだ句題で、一日に一万句を詠んだ。この連歌の会で詠まれた万句の中から各句座の代表句百句を弘治2年(1556)、城親賢(じょうちかまさ)が書き写したのがこの巻物。この連歌の中には、一族の武士をはじめ、僧侶・神官など百人の句がのせられている。 重朝の発句は「月松」で「月や知る十代(とがえり)の松の千々の秋」と詠んでいる。この句は後々まで広く伝承され、重朝のことを「月松の君」と呼ぶようになったという。
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