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北茨城を知るコンテンツ
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大津村居屋鋪繪圖面
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野口雨情関連資料
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野口(のぐち)雨情(うじょう)(1882-1945) 1882年(明治15)多賀郡北中郷村磯原(現・北茨城市磯原町)に生まれる。地元の高等小学校を卒業後東京専門学校(現・早稲田大学)中退。『船頭小唄』『波浮(はぶ)の港』をはじめ地方民謡も数多つくり、主として作曲の中山(なかやま)晋平(しんぺい)と組み、大正末から昭和初頭にかけて民謡詩人として人気を得る。児童雑誌『金の船』『金の星』を中心に童謡をつくり、本居(もとおり)長世(ながよ)・中山(なかやま)晋平(しんぺい)の曲で北原(きたはら)白秋(はくしゅう)・西城(さいじょう)八十(やそ)と並んで童謡運動の中心として活躍した。『七つの子』『あの町この町』『証城寺の狸囃子』『兎のダンス』など今日でも国民的童謡として人気がある。
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ベルトラメリ能子関連資料
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ベルトラメリ・能子(よしこ)(1903-1973) 多賀郡平潟町(現・北茨城市平潟町)に生まれる。生家は水産業を営む鉄家。大津小学校に2年生ごろまで在学し、日露戦争後、一家とともに東京に移住。1916年(大正5)東京音楽学校(現・東京芸術大学)に学ぶ。小学校の教壇に立ちながら、イタリアのテノール歌手サルコリのもとでベルカント唱法を学んだ。1922年(大正11)声楽の勉強のためイタリアに留学。その間アントニオ・ベルトラメリと結婚。1930年(昭和5)、アントニオと死別し、翌年日本に帰国。その後鎌倉に居住しベルカント研究所を開いて子弟の養成に努めた。1973年(昭和48)、国立音楽大学の教授として後進の養成に努めた。
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神岡上第3号墳出土遺物
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図書資料
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広報紙
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