まえがき
口絵
序
序にかえて
目次
序章 北茨城の自然環境
一 位置
二 自然環境
阿武隈高地
常磐海岸地帯
(1)丘陵
(2)平地
(3)川
(4)海岸
北茨城の自然史
気候
第一章 原始の北茨城
一 先土器文化の遺跡
先土器文化
細原遺跡
二 縄文文化の繁栄
土器の発生と移り変り
環境と生活
市内の縄文遺跡
三 弥生文化の展開
稲作の始まり
足洗遺跡と足洗式土器
第二章 古代の北茨城
一 多珂国造
古墳と副葬品
民衆のくらし
市内の古墳と横穴
多珂国造と墳墓
二 国境の港
常陸路の終点と粱津
大津廃寺跡
三 勿来関
勿来関をめぐって
勿来関と白河関
四 蝦夷征伐と天台宗
国界の寺、中山寺
常陸五山と天台宗
五 佐波波地祇神社
多珂郡の式内社
二つの佐波波地祇神社
六 源頼義・義家の登場
頼義・義家伝説の性格
桜井の井戸
第三章 中世の北茨城
一 金砂山と花園山
金砂山城の合戦
佐竹秀義と花園山
二 国境の土豪
大塚郷と大塚氏
南北両朝勢力の接点
多珂郡の名主と境小三郎
三 佐竹氏の発展
佐竹貞義の活躍
佐竹義篤譲状と多珂荘
四 夢窓国師と臼庭
夢窓国師と臼庭
五 岩城常隆の多珂郡侵入
岩城氏の発展
車・竜子山両城の帰服
六 大塚氏の活躍
竜子山城と大塚氏
王孫伝説
七 車氏と車城
車氏の系譜
車義秀と佐竹義重
車城の規模
竜寅寺の開山
八 太閤検地と知行替え
岩城領の検地
折木の東禅寺
神谷座主館と一山寺
九 車丹波守の生涯
武勇の人
上杉家の客将
車丹波一揆
その後の車氏
一〇 宗教と信仰
花園権現
上砥上の羽黒権現
妙法寺過去帳
第四章 近世の北茨城
一 近世の幕明け
戸沢氏の支配
水戸藩・棚倉藩の分領
旗本知行地の出現
二 近世の村
村のようす
検地と年貢
村の組織と農民統制
三 十石堀
沼田惣左衛門の開削
利用と現状
四 農民と漁民の生活
農業
漁業
農村の疲弊
五 東廻海運と平潟
東廻海運の開発
廻米
塩と鉄
六 街道と宿場
岩城街道と宿並
本陣
平潟洞門の碑
棚倉街道
七 異人上陸
異人大津浜に上陸
水戸藩の取り調べで英人と判明
幕府異人を解放する
危機感と攘夷思想
八 祭りと習俗
花園権現の磯出の祭り
御船祭り
火伏せの神
天妃山
三十三観音信仰
庚申講と恵比須講
九 庶民の教育
寺子屋と塾
塾中取締書
一〇 文化
文学
絵画
篆刻・鋳印
儒学
医学
文人の来遊
一一 石炭の発見
神永喜八と採炭創業
石炭産業の拡大
一二 幕末維新の動乱
幕末維新の政情と郷土
野口正安と西丸帯刀
天狗騒動の波及
戊辰戦争と郷土
第五章 近現代の北茨城
一 近代のはじまり
廃藩置県
壬申戸籍
大区小区制
徴兵令と村民
地租改正
連合村と村会の開設
二 教育制度
小学校の誕生
小学校教育制度の変遷
三 自由民権運動と野口勝一
国会開設請願運動
野口勝一
茨城日日新聞の創設と議会活動
維新史料の編さん
四 揺れる村政
二町五か村の成立
村政の混乱
五 地方改良運動
日露戦争と村
事蹟簿と村是
農事改良
県是模範実行村関南村
六 石炭産業と常磐線の開通
石炭産業の発達
常磐線の開通
炭礦と輸送
炭礦に働く人々
七 水産業
大津港とその漁業
平潟港とその漁業
八 芸術と文化
日本美術院五浦研究所
飛田周山
佐藤暁関
野口雨情
ベルトラメリ・能子
山形皆空
九 昭和初期の世相と風俗
街並みと橋
人々の楽しみ
昭和初期の磯原
一〇 不況と経済更生運動
経済更生運動の展開
華川村の全村教育
一一 銃後の町村
戦争の拡大と銃後の生活
石炭増産と勤労奉仕
一二 風船爆弾
アメリカ本土攻撃の秘部隊
軍による土地の強制借り上げ
世界史上にみられない仕掛け
つわものどもが夢のあと
一三 敗戦と戦後の諸改革
空襲を受けた大津
戦後の生活
磯原青壮連盟
農地改革
新しい教育制度
一四 炭礦の繁栄と労働運動
黒ダイヤ
労働運動
炭礦(やま)の生活
一五 北茨城市の誕生と展望
北茨城市の誕生
北茨城市の産業
炭礦閉山と工業団地
のびゆく北茨城
北茨城市史略年表
あとがき
〔奥付〕