No |
時代 |
和暦 |
西暦 |
郷土のあゆみ |
1
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原始
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先土器文化
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高萩市上君田遺跡・山方町山方遺跡
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2
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原始
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先土器文化
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細原遺跡
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3
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原始
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先土器文化
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勝田市後野B遺跡(細石刃文化)
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4
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原始
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縄文文化
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土器の発生
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5
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原始
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縄文文化
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(草創期)豆粒文・細隆起線文土器が盛んに作られる
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6
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原始
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縄文文化
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(早期)尖底土器が使われる
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7
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原始
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縄文文化
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細原遺跡炉穴・清水遺跡
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8
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原始
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縄文文化
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(前期)海進がすすむ
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9
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原始
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縄文文化
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(中期)土器文化が繁栄し、遺跡数が増加(上野台遺跡・花地遺跡・北作貝塚)
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10
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原始
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縄文文化
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(後期)茨城・千葉両県中心に大貝塚が形成される 土偶が多く作られる(上野台遺跡・台畑遺跡・花地遺跡)
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11
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原始
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縄文文化
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(晩期)遺跡数が減少 東北地方の亀ケ岡文化(大洞式)の波及 信仰的遺物の増加(上野台遺跡・塙遺跡)
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12
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原始
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弥生文化
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縄文文化の伝統を有する土器群の展開
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13
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原始
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弥生文化
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(中期)再葬墓盛んに行われる(大宮町小野天神前遺跡)
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14
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原始
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弥生文化
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足洗遺跡(合口甕)
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15
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原始
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弥生文化
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稲作が県内に波及する
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16
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原始
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弥生文化
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(後期)集落が安定し、小地域ごとに土器様相が異なってくる
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17
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原始
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弥生文化
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櫛目文土器群が盛んに行われる(十王町十王台遺跡)
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18
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古代
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古墳文化(土師文化)
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300
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(前期)集落規模が大きくなり、湿田開発がすすめられる
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19
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古代
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古墳文化(土師文化)
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300
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方形周溝墓が作られる(東海村須和間遺跡・水戸市赤塚西団地遺跡・北茨城高等学校内遺跡)
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20
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古代
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古墳文化(土師文化)
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400
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(中期)豪族が出現し、前方後円墳が増加する(立野遺跡・鶴止遺跡)
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21
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古代
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古墳文化(土師文化)
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500
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(後期)竪穴住居内に竈が作られる
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22
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古代
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古墳文化(土師文化)
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500
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北茨城市内に古墳が築造される(天王塚古墳群・南塚古墳群)
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23
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古代
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古墳文化(土師文化)
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500
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横穴墓が盛んに作られる(尾形山横穴群・二ツ島横穴群)
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24
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古代
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和銅三年
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710
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この頃、大津廃寺が建立される
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25
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古代
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養老二年五月
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718/5
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多珂郡の郷二一〇烟を割いて菊多郡とし、石城国に所属させる
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26
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古代
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弘仁三年一〇月
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812/10
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常陸国の安侯・河内・石橋・助川・藻島・棚島の六駅を廃す
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27
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古代
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貞観元年四月二六日
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859/4/26
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佐波波神、従五位下を授けらる
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28
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中世
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治承四年一一月
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1180/11
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佐竹秀義、源頼朝の軍勢に金砂山城を落され、花園山に逃げこむ
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29
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中世
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嘉元一年
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1303
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日弁、赤浜(高萩市)に妙法寺と願成寺を開山する
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30
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中世
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嘉元三年二月
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1305/2
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夢窓国師、奥州より臼庭にいたり接待庵に泊し、比佐居士なるものの請によりその庵にとどまる
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31
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中世
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嘉元三年一〇月
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1305/10
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夢窓国師、臼庭をあとに鎌倉にいたる 仏国禅師の門をたたき境地を報告する
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32
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中世
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元弘三年五月
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1333/5
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大塚五郎次郎員成、一族郎党を率いて新田義貞の鎌倉攻めに参加する
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33
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中世
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建武三年一二月一一日
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1336/12/11
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佐竹氏ら北朝方連合軍の攻撃により、瓜連城落城する
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34
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中世
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暦応三(興国元)年三月三〇日
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1340/3/30
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広橋修理亮ら、菊田荘大畑山で相馬親胤、岡本隆弘らと合戦
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35
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中世
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暦応三(興国元)年八月一八日
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1340/8/18
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大塚員成討死の忠により、大塚郷地頭職を員成の女子に宛行う
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36
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中世
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興国二年五月四日
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1341/5/4
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境小三郎ら、城郭を構えて北畠親房に御旗の授与を願う
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37
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中世
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康安二年一月七日
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1362/1/7
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佐竹義篤、多珂庄関本郷、桜井郷、木佐良村などを小場義躬、石崎宗義に譲る
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38
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中世
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文明一七年七月一日
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1485/7/1
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車城主討死
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39
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中世
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文明一七年七月
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1485/7
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岩城常隆、多珂郡に侵入し車城、竜子山城を破る
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40
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中世
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文亀二年
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1502
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佐竹義舜、岩城常隆に竜子山領と車領を割譲する
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41
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中世
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天文二一年七月三日
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1552/7/3
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大塚信濃守政成、佐竹義昭から一家の例をもって待遇される
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42
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中世
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天文二四年
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1555
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大塚政成、上洛、幕府に黄金などを献ずる
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43
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中世
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天正一一年一一月
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1583/11
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佐竹義重、車領に出陣すると伝えられる
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44
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中世
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天正一七年三月
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1589/3
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車氏、大塚氏、岩城常隆に従って出陣し、大越警固につき伊達政宗と対陣する
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45
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中世
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天正一八年七月
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1590/7
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小田原出陣の岩城常隆、鎌倉で病死、佐竹義重の三男能化丸、岩城氏を継ぐ
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46
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中世
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文禄一年一月
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1592/1
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大塚氏、車氏、岩城衆ら、佐竹義宣に従って唐入り出陣
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47
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中世
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文禄四年一〇月
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1595/10
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岩城領に太閤検地が実施される
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48
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中世
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慶長一年
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1596
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大塚氏、竜子山より折木へ、車氏、車より神谷へ知行替えとなる
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49
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中世
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慶長五年
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1600
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車丹波守と車三弥父子、上杉家の家臣となる
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50
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近世
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慶長七年五月
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1602/5
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佐竹氏、秋田へ国替えとなる
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