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解題・説明
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「備前国住長」と銘がありますが、鑑定の結果、備前国長船に住んでいた室町時代の刀匠勝光の作であることがわかりました。 開成山地域一体は、明治初期まで大槻原と呼ばれた荒涼たる原野でした。1871(明治4)年に福島県の役人になった中條政恒は、この原野の開墾を郡山の富商たちに呼びかけ、これにこたえた阿部茂兵衛、鴫原弥作らが中心となって資金を出し合い、開墾会社としての「開成社」(中條の座右の銘「開物成務」よりとった社名)を組織し、開墾がすすめられました。大槻原の開墾には開成社のほかに二本松藩士らが多数入植していました。 開墾事業は経済や労働、それを支える精神等の面で容易なものではありませんでした。開成社は社則に、開拓者の心の拠り所として神社をつくることを規定していました。それに基づき、1875(明治8)年伊勢皇大神宮の御分霊勧請の儀をおこし、翌年許可を得て開成山に一社を建立し奉遷しました。これが開成山大神宮です。このとき、皇大神宮から御神宝として、鏡、太刀、槍が贈られました。その太刀が勝光です。
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