|
解題・説明
|
蛇骨地蔵堂は1718(享保3)年、二本松藩4代藩主丹羽秀延の時に東勝寺とともに再建されたと伝えられますが、江戸時代後期の特徴を示すその技法や彫物などから見て、ほぼ間違いないとものと思われます。1845(弘化2)年3月の墨書が認められますので、1752(宝暦2)年の日和田大火でも焼け残ったことは事実です。 平面は3間4方の仏堂形式で、屋根は入母屋、正面中央に突き出す向拝部分の庇は霊廟建築の流れを汲むものです。背面中央に厨子を安置する奥行き2間の内陣は典型的な禅宗様が3間仏殿といえるでしょう。虹梁に彫られた絵様は美しく、向背の壁や貫等には雲紋絵様が描かれて、天井は中央部1間4方のみ格天井が組み込まれています。また、内陣と表1間の外陣の境は格子で仕切られていますが、ここの2本の柱は他の柱に較べて2寸以上も太いものが用いられています。外壁は、正面両脇の窓を縦格子窓とする以外はすべて盲格子の板壁で、廻り縁には高欄が設けられています。 時代的には然程古い建築物ではありませんが、その造りや使用材料は共に美しく、郡山市内にあっては、細田の光照寺念仏堂とともに、江戸時代後期の建築様式を良く保った仏堂建築といえるでしょう。
|