56.三代の一里塚(みよのいちりづか)

 

市指定史跡 昭和50(1975)年8月29日指定

所在地郡山市湖南町三代
所有(管理)者名郡山市三代財産区 (問合せ)郡山市文化スポーツ観光部文化振興課
アクセス磐越自動車道磐梯熱海インターチェンジから車で約40分
「郡山市の文化財」マップで位置を見る

 三代の一里塚は、白河から会津若松に通じる白河街道の湖南町三代にあります。白河街道は、1590(天正18)年に豊臣秀吉が会津に入ったときに開発した道路で、江戸時代には、佐渡で産出した金を江戸に運んだり、会津藩の回米道として重要な街道でした。

 一里塚は、街道を通る旅人の里程の目標として一里毎に築かれたもので、1667(寛文7)年に会津藩が、幕府の命により築きました。 

 現在、このあたりは新道が通り、かろうじて残された旧道の北側に1基のみあります。周囲は33m余り、高さが4m以上あります。

 この塚は、会津若松の基点から7里目の塚であり、現在あるものは全国的にも数少なくなり、その意味でも貴重なものです。

 なお、1982(昭和57)年、湖南町中野地区の諏訪峠の麓の山林中からも、一里塚が発見されています。

ちょっとブレイク

宿場町の面影が残る町

湖南町三代はかつて白河街道の宿場町として栄え、明治の初め頃までは旅籠、問屋、馬宿などが軒を並べ、大変にぎわっていたそうです。時が経ち、今は静かな農村へと生まれ変わりましたが、通りの町並みには旅籠の屋号などが残され、宿場町の面影を見ることができます。