市指定史跡 昭和33(1958)年5月14日指定
| 所在地 | 郡山市富久山町久保田字山王舘19 |
|---|---|
| 所有(管理)者名 | 日吉神社 |
| アクセス | 郡山駅前から八山田循環南東北病院先回り、舞木経由三春行き、南東北病院・フェスタ経由本宮駅行き、南東北医療クリニック経由フェスタ行き、南東北医療クリニック経由富久山循環南東北病院先回り、船引線船引駅前行き、富久山循環南東北病院先回り、南東北病院経由宝沢レイクタウン行き、金堀田下車徒歩6分 |
碑の高さ175cm、幅89.2cm、上部の厚さ27cm、下部の厚さ30.5cmの花崗岩造りで台石は2段になっています。
碑ははじめ逢瀬川の北にありましたが、たびたびの水害にあって、元文年間(1736~1741)に川の南の磐越西線と東北本線の中間の位置に移し、1957(昭和32)年に線路拡張のため郡山機関区内に移され、さらに市道拡幅により1970(昭和45)年に富久山町久保田の日吉神社境内に移されました。
伊藤(東)肥前は、戦国時代末期の片平町の中村城主として仙台伊達氏に従っていた武将で、1588(天正16)年の常陸の佐竹氏と伊達氏が戦った郡山合戦の際に、伊達政宗の身を守るためにその身代わりとなって戦死したと伝えられます。
この碑は、伊達家四代の伊達綱村が、肥前の曽孫伊東重良に命じて建てさせたもので、碑文は僧高泉が1692(元禄5)年に作り1694(同7)年に建てられました。
碑文の内容は、前述の郡山合戦での伊藤(東)肥前の武勇を讃えたものです。
この他、ここには…
ちょっとブレイク
わらじ対ぞうり?
その昔、久保田の地で伊達政宗と芦名・佐竹連合軍の戦いが・・・。伊達軍はわらじを、連合軍は農作業に使うぞうりで戦ったところ、伊達軍は湿地に足を取られ、進むことができなかったとか。連合軍のぞうりはこの地方の角子草履だと言われています。