市指定重要文化財(建造物) 昭和62(1987)年3月13日指定
| 所在地 | 郡山市田村町細田字宿65 |
|---|---|
| 所有(管理)者名 | 光照寺(満蔵寺) |
| アクセス | 郡山駅前から蓬田線蓬田行き、矢平下車徒歩19分 |
建物は本来茅葺の一間向拝付宝形(正四角錘)屋根で、平面は中央柱間8尺8寸5分、脇間7尺1寸5分で、総間23尺1寸5分を数える3間4方の念仏堂です。中央柱間最奥部1間には四天柱と須弥壇が設けられています。前面2間は常行三昧のための空間で、奥の1間は位牌棚になっています。全体的にみれば、規模の割に柱が太く、堂々とした建築です。
光照寺念仏堂の建築に当っては、周辺20ヶ村の総出による作業で、寛永寺の大僧正実観から蓮華会の御誓文を賜わった1741(寛保元)年から1772(明和9)年5月の落慶供養まで31年間を費やして完成した念仏堂です。正直村住の棟梁鈴木内匠林直を筆頭に守山住鈴木栄蔵定恒、下行合住柳沼太七正純、正直村住柳沼忠蔵昭房が大工工事を行ったものですが、彫物に関しては山中村住柳沼治左衛門恒則が下絵を描き、江戸の神田から町田治郎兵衛栄行とその弟子で白河住桑原半治郎安常を呼んで造らせたことが知られています。
また、別当寺である光照寺の客殿および庫裏は1778(安永7)年の再建で、客殿の大工棟梁は鈴木伝蔵です。当時の地元大工の技術が偲ばれます。
ちょっとブレイク
田村麻呂が再会したのは?
田村町には「行き合い(ゆきあい)」という地名が残っています。これは、田村麻呂が蝦夷征伐の旅に出た際、阿武隈川のほとりまで来ると橋のたもとに母・阿古陀媛が待っていました。以来、この地は行き合うから「行合」と呼ばれ、かかる橋を行合橋と呼ぶようになったそうです。