郡山市のできごと

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1 旧石器時代 BC11000年頃以前 主な遺跡:弥明遺跡・宮田A遺跡(田村町)熱海遺跡(熱海町) 「郡山の歴史」p2
2 縄文時代早期 BC8000年頃 主な遺跡:古亀田遺跡(富田町) 新田B遺跡(熱海町) 大槻八頭遺跡(大槻町) 「郡山の歴史」p3「郡山の歴史」p5
3 縄文時代前期 BC4000年頃 主な遺跡:西原遺跡・夢田遺跡(富久山町)
4 縄文時代中期 BC3000年頃 主な遺跡:妙音寺遺跡(富久山町) 曲木沢遺跡(西田町) 上納豆内遺跡(逢瀬町) 「郡山の歴史」p6「郡山の歴史」p7「郡山の歴史」p6「郡山の歴史」p27「郡山の歴史」p3
5 縄文時代後期 BC2000年頃 主な遺跡:割田A遺跡(田村町) 倉屋敷遺跡(中田町) 馬場中路遺跡(西田町) 「郡山の歴史」p4「郡山の歴史」p6「郡山の歴史」p29
6 縄文時代晩期 BC1000年頃 主な遺跡:山ノ神遺跡(湖南町) 滝ノ口遺跡(熱海町) 下羽広遺跡(中田町) 「郡山の歴史」p6「郡山の歴史」p5「郡山の歴史」p6
7 弥生時代前期 BC300年頃 主な遺跡:一人子遺跡(三穂田町) 雇沢遺跡(熱海町) 御代田遺跡(田村町)
8 弥生時代中期 BC100年頃 主な遺跡:柏山遺跡(柏山町) 「郡山の歴史」p10「郡山の歴史」p10
9 古墳時代 主な遺跡:渕ノ上一号墳(安積町) 「郡山の歴史」p15
10 江戸時代 天和年間 郡山村で縄張りが行われた。
11 弥生時代後期 AD100年頃 100 主な遺跡:福楽沢遺跡(大槻町) 「郡山の歴史」p9「郡山の歴史」p10「郡山の歴史」p9
12 古墳時代前期 300年頃 300 主な遺跡:大安場一号墳・正直三五号墳(田村町) 東丸山遺跡(安積町)
13 古墳時代中期 400年頃 400 主な遺跡:大善寺古墳群・北山田二号墳・南山田遺跡(田村町) 清水内遺跡(大槻町) 「郡山の歴史」p9「郡山の歴史」p14「郡山の歴史」p10
14 古墳時代後期 500年頃 500 主な遺跡:守山城跡三ノ丸古墳・山中日照田遺跡(田村町) 麦塚古墳(大槻町) 「郡山の歴史」p15「郡山の歴史」p16
15 古墳時代終末期 600年頃 600 主な遺跡:蒲倉古墳群(蒲倉町・安原町・阿久津町) 大槻古墳群(大槻町) 「郡山の歴史」p15「郡山の歴史」p16
16 飛鳥時代 大化5 649 阿尺評が置かれる。 「郡山の歴史」p21
17 飛鳥時代 白雉4 653 阿尺評から相津(会津)評が分出した可能性がある。 「郡山の歴史」p21
18 飛鳥時代 大宝2 702 阿尺評が阿尺郡となる。 「郡山の歴史」p21
19 奈良時代 和銅6 713 阿尺郡が安積郡と表記が変更される。 「郡山の歴史」p21
20 奈良時代 神亀元 724 葛城王が陸奥国に下向し、前采女が「安積山」の歌を詠む。 「郡山の歴史」p25
21 奈良時代 神護慶雲3 769 丈部直継足に阿倍安積臣の姓が与えられる。 「郡山の歴史」p23
22 奈良時代 宝亀3 772 丈部継守に阿倍安積臣の姓が与えられる。 「郡山の歴史」p23
23 奈良時代 延暦10 791 阿倍安積臣継守が、軍糧献上によって外従五位下に叙せられる。 「郡山の歴史」p23
24 平安時代 元慶5 881 安積郡弘隆寺が天台別院となる。 「郡山の歴史」p27
25 平安時代 延喜6 906 安積郡北部の地域を割いて安達郡が成立する。 「郡山の歴史」p21
26 平安時代 天暦 950 清水台遺跡の安積郡の郡家としての機能が失われる。
27 平安時代 永承 1050 安積郡東部の地域を割いて田村荘が成立する。 「郡山の歴史」p21
28 鎌倉時代 文治5 1189 工藤祐経が、安積郡の地頭になったとされる。
29 鎌倉時代 弘安6 1283 伊東祐重が、安養寺の板碑を造立させる。 「郡山の歴史」p31
30 鎌倉時代 元弘3 1333 石川光隆らに攻められ、佐々河城が落城する。 「郡山の歴史」p33
31 鎌倉時代 建武元 1334 陸奥国府の職制が整備され、引付衆などに伊東氏も加わる。 「郡山の歴史」p33
32 室町時代 建武5 1338 安積新兵衛尉が、石川一族の蒲田兼光らとともに関西を転戦する。 「郡山の歴史」p35
33 室町時代 貞和3 1347 北朝軍に攻められ、宇津峰城が落城する。 「郡山の歴史」p36
34 室町時代 観応2 1351 伊東祐信と田村弾正が一揆を結ぶ。 「郡山の歴史」p36
35 室町時代 文和元 1352 北畠顕信らが宇津峰城に入る。 「郡山の歴史」p36
36 室町時代 文和2 1353 北朝軍に攻められ、宇津峰城が落城する。 「郡山の歴史」p36
37 室町時代 明徳2 1391 陸奥・出羽両国が鎌倉府の管轄となる。 「郡山の歴史」p31
38 室町時代 応永2 1395 田村清包が、唐久野原などで鎌倉府軍と戦う。 「郡山の歴史」p37
39 室町時代 応永6 1399 足利満貞が岩瀬郡稲村に下向する。 「郡山の歴史」p37
40 室町時代 応永11 1404 安積郡・田村荘などの中小国人が一揆を結ぶ。 「郡山の歴史」p37
41 室町時代 応永16 1409 富岡城において合戦があり、この頃、足利満貞が安積郡篠川に下向する。 「郡山の歴史」p37
42 室町時代 応永31 1424 足利満貞が鎌倉へ帰還する。 「郡山の歴史」p38
43 室町時代 永享11 1439 足利満貞らが鎌倉で自害する。 「郡山の歴史」p38
44 室町時代 永享12 1440 結城合戦の最中に、足利満直が周辺国人に攻殺される。 「郡山の歴史」p38
45 室町時代 文明2 1470 蘆名盛高が安子島を制圧する。 「郡山の歴史」p39
46 室町時代 永正元 1504 田村義顕が、本拠を守山から三春へ移したと伝わる。
47 室町時代 大永3 1523 蘆名盛舜が、中地村と横沢村の境界紛争を調停する。 「郡山の歴史」p39
48 室町時代 天文10 1541 安積氏と田村氏が、伊達氏の仲介で講和する。 「郡山の歴史」p39
49 室町時代 天文12 1543 安積祐重が安積郡から没落し、伊達氏に属して小手保へ移る。 「郡山の歴史」p47
50 室町時代 天文20 1551 蘆名盛氏と田村隆顕が、畠山尚国と白川晴綱の仲介で講和する。 「郡山の歴史」p41
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