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下松市/郷土資料・文化遺産デジタルアーカイブ

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下松市史 通史編 (連合期成会の設立)

役員には総務に堀正一・矢島専平、理事に岩山清三・兼清常吉、評議員に下松町二人、末武南村二人、末武北村三人,同年六月二十七日堀正一・矢島専平・上原乙治・中山説太郎らと都濃郡長は山口で林知事と懇談、工場設立への援助
わたしたちのきょうど 星ふるまち下松 (塩田の終わり)

メートル)は、1888年(明治21年)に矢嶋作郎(やじまさくろう)に売られていましたが、その後彼の婿養子の矢島専平,矢島専平  矢嶋作郎の娘の夫。
下松市の石造文化財・祈りと生活 (灯明台(とうみょうだい) (東開作鶴ヶ浜(ひがしがいさくつるがはま)))

矢島専平氏はその養嗣子である。
下松市史 通史編 (米騒動と窮民救助)

徳山で町民が集り廉売を要求した八月十五日、矢島専平は白米一五俵を三〇銭で廉売し、石田梅松・海本亀次郎は,このうちに上原乙治と矢島専平は各一〇〇〇円、笠戸造船所は一万円を寄附し、久原房之助は萩町へ一万円を寄附
下松市史 通史編 (東洋鋼鈑下松工場の設立)

この間、とくに下松町は工場用地の確保に努め、前代議士矢島専平が所有する旧宅地約四〇〇〇坪に合わせて、久原用地部,は、ただちに号外を発行して、工場誘致運動の成功を町民に知らせ、一方、臨時町議会も、その斡旋に当たった矢島専平
下松市史 通史編 (日本石油下松製油所の設立)

下松町民に、日立製作所笠戸工場に続く二番目の大工場の実現として歓迎され、その工場用地を提供した前代議士矢島専平,救済、用地被買収者に対する種々の補償、道路や用水路の整備、災害防止施設の建造などを盛り込んだ「覚書」を矢島専平
下松市史 通史編 (塩再製塩工場)

同年十月大蔵省の塩再製塩工場建設計画が伝わると、地元の対応は早く、塩田所有者の矢島専平ら六人はただちに
下松市史 通史編 (疑惑と町長辞任)

その席上、矢島専平は久原房之助の手紙を示しながら「古山工場長が上阪中であるから吉報があろう」と協議会委員
下松市史 通史編 (第一回用地と増補地)

その代表として堀正一・矢島専平・植杉佐武郎・国広八助の四氏が挨拶を兼ねて県知事を訪ね、売価の決定を依頼
下松のいろいろの歴史 (7 久原工場設置当時の事情について)

事情について 第一章 はしがき 第二章 設置の原因  第一節 地理的要因  第二節 堀正一氏と矢嶋専平氏,第二節 堀正一氏と矢嶋専平氏  次に当時の貴族院議員堀正一氏、陸軍大尉矢嶋専平氏の功績をあげねばならない,堀氏は直ちに賛意を表し、第一期事業の敷地の大部分を占める矢嶋専平氏を紹介した。,第二条 以下省略   本会総務として堀正一氏・矢嶋専平氏を推し、各町村にわたり理事評議員等の役員を,当日の矢嶋専平氏の講演として、左の如く報じている。  
下松市史 通史編 (大工業地域化計画の発表)

その過程で堀正一や矢島専平らと相談の結果、その地域を下松町に決定した(『笠戸工場史』)。
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