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下松市/郷土資料・文化遺産デジタルアーカイブ

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わたしたちのきょうど 星ふるまち下松 (塩田の終わり)

(いそべけ)の屋しき(約3,000坪つぼ=約10,000平方メートル)は、1888年(明治21年)に矢嶋作郎,人物紹介 矢嶋作郎  明治元年、旧徳山藩主毛利元功公(きゅうとくやまはんしゅもうりもといさこう),矢島専平  矢嶋作郎の娘の夫。,矢嶋作郎の財産を受けつぎ、旧宅地を東洋鋼鈑(とうようこうはん)にゆずるなどして「ものづくりのまち下松」
下松市の石造文化財・祈りと生活 (灯明台(とうみょうだい) (東開作鶴ヶ浜(ひがしがいさくつるがはま)))

この灯明台は、もと宮の洲の先に明治二十六年(一八九三)七月、土地の実業家、矢島作郎氏が、瀬戸内海を通って,   この矢島作郎氏は、天保十年(一八三九)一月十八日徳山藩士伊藤三郎治の二男として生
下松のいろいろの歴史 (2 下松の人物録)

防長人物誌(近藤清石 明治三八編)  お政 大庭賢兼   都濃郡誌(都濃郡役所 大一三刊)  矢島作郎,昭二九刊)  弘鴻 長岡外史 森重靭負 森重曾門   近世防長人名辞典(吉田祥朔 昭三二刊)  矢島作郎,今田浪江 弘鴻 長岡外史 森重靭負 森重曾門   下松地方史研究(下松地方史研究会 昭三一刊―)  矢島作郎
下松市史 通史編 (下松塩田)

3.16 〃 計 119.1.02 59.03 1人 「防長塩田台帳」(防府史料第29集)による  矢島作郎,「日本塩業同盟会報告書」(『日本塩業大系史料編』)では下松東西浜会員の一八人のうちに磯部敏祐に代わり矢島作郎
下松市史 通史編 (公設消防組)

さらに一九〇九年矢島作郎ら八七人が町費へ五二二円余を寄附し消防組を拡充させた。  
下松のいろいろの歴史 (1 下松の石造物について)

4 同所に、「明治二十六年七月 矢島作郎立」の燈台の石塔がある。  
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