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下松市の石造文化財・祈りと生活
(3 切山歌舞伎(きりやまかぶき))
所在地 下松市久保切山 保持団体 切山歌舞伎保存会 宝暦の初め、イノサコの
長重良
,その後、
長重良
の子孫といわれる山本家を中心に伝承されたが、特に明治二十五年ごろ八幡宮境内に「共立舎」が
下松市の文化財
(切山歌舞伎)
昭和43年4月5日 所在地 下松市久保切山 保持団体 切山歌舞伎保存会 宝暦の初め、イノサコの
長重良
,その後、
長重良
の子孫といわれる山本家を中心に伝承されたが、特に明治25年頃八幡宮境内に共立舎が設置され
わたしたちのきょうど 星ふるまち下松
((1)残したいもの伝えたいもの)
切山歌舞伎の始まり 江戸時代、切山の
長重良
(ちょうじゅうろう)という人が、京都(きょうと)からの帰,ある夜、
長重良
がねていると、まくらもとに神があらわれ、「切山八幡宮の秋祭りで歌舞伎を演じると切山地区がゆたかになる,そして、
長重良
は、子どもの三四郎を大阪へ歌舞伎の修行に行かせました。
下松市史 通史編
(切山歌舞伎)
切山歌舞伎 切山下條の
長重良
が宝暦(一七五一年-六三年)の初めごろ、大坂難波の竹本座の浄瑠璃人形芝居
下松市史 通史編
(祭りと芸能)
切山歌舞伎は宝暦年間(一七五一~六三年)、京参りに上った切山村下条の
長重良
が帰途、大坂竹本座の人形浄瑠璃,そもそも大坂の歌舞伎に感動した
長重良
が切山の地にそれを伝えようと思い立ったきっかけは、切山八幡宮の夏秋
幾里山歌舞伎由来
(幾里山歌舞伎由来)
幾里山歌舞伎由来 切山歌舞伎の由来1 宝暦2の頃、幾里山の下村東畠イノサコ家3の
長重良
が、摂津なには,ある晩、
長重良
の枕もとに、白髪の衣冠束帯5の神さまが現れ「切山八幡宮夏秋の祭りは淋しい。
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