ものづくりのまち発祥の地 宮ノ洲
宮ノ洲について
古代から瀬戸内海交通の要衝であった宮ノ洲は、時代とともに重要な歴史を刻んできました。宮洲古墳からは、4面の銅鏡が出土し、江戸時代には、磯部家が塩田事業で隆盛を極めました。大正時代、実業家久原房之助が、広大な塩田を背景に「下松大工業都市建設計画」を発表したことから、工業化への道が開かれます。計画は、すぐに中止となりましたが、その後も工業都市として着実に発展した下松において、宮ノ洲は「ものづくりのまち」発祥の地といえます。
宮ノ洲古墳
国指定重要文化財
「三角縁盤龍鏡」
所蔵:東京国立博物館
国指定重要文化財
「三角縁神獣鏡」
所蔵:東京国立博物館
国指定重要文化財
「三角縁神獣鏡」
所蔵:東京国立博物館
国指定重要文化財
「内行花文鏡」
所蔵:東京国立博物館
その他資料
下松町及其附近久原用地平面図
所蔵:島の学び舎
1800年代初期の宮ノ洲の情景
所蔵:個人蔵
200年前の宮ノ洲と現在の鉄道と道路
所蔵:個人蔵
昭和30年代の東洋鋼鈑