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島田家文書
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島田家は栗橋関所(房川渡中田関所)の番士を勤めました。島田家には、関所通行の際の証文類が多く残され、慶安元年(1648)を初見として17世紀のものが10点あまり確認できます。栗橋関所番士を知る上で貴重な資料となっています。 ここでは島田家文書の一部と同家に関連する資料をデジタル化して公開します。
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中島撫山関係資料
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中島撫山は、久喜に移り住み、明治6年(1873)、私塾「幸魂教舎」を開設し、地域の人々の教育に多大な影響を及ぼしました。門下生は地域の政治・経済など各分野で活躍しました。ここでは久喜市所蔵の書画の一部と撫山に関係する資料をデジタル化して公開します。
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鷲宮神社関係資料
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「太田荘の総鎮守」、「お酉様の本社」などとして知られる鷲宮神社は、鎌倉時代には鎌倉幕府の庇護を受け、その歴史書である『吾妻鏡』にもその名が登場するほか、江戸時代には社領400石を寄進されるなど、各時代の有力者からも崇敬されました。ここでは鷲宮神社に伝わり、久喜市立郷土資料館に寄託された資料をデジタル化して公開します。
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本多静六関係資料
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本多静六は慶応2年(1866)、南埼玉郡河原井村(現久喜市菖蒲町河原井)に折原家の第6子として生まれました。学生時代に元幕臣の本多家に婿養子に入った後、ドイツ留学を経て、明治32年(1899)、日本初の林学博士となり、造林学、造園学の確立に大きな足跡を残しました。日比谷公園をはじめとする全国数百か所の公園の設計・改良を手掛けたことから「日本の公園の父」と呼ばれ、日本における鉄道防雪林の導入や明治神宮の森の造営などの業績も残しています。ここでは本多静六に関する資料をデジタル化して公開します。
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