東京市の学校建築は、関東大震災によって大きく変貌した。震災前はほとんどの校舎が木造であったために、火災による被害が中心となった関東大震災では、多くの木造校舎が焼失した。そこで、震災復興事業の中で、校舎を耐震・耐火構造の鉄筋コンクリート(RC)で建設する計画が立てられ、これらの学校は「復興小学校」と呼ばれた。ただし東京市では、震災前から後藤新平市長のもとで不燃都市化が計画されており、校舎をRC化する動きは震災前から始まっていた。港区域では、大正12年(1923)に、鞆絵(ともえ)小学校でRC化に着手したのが最初である。鞆絵小学校では、RC校舎の建設中に関東大震災が発生し、延焼してしまった。
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