学校給食は、その後、昭和30年代に教育計画に位置づけられる。港区域は給食研究が盛んで、教員だけでなく、PTAが給食研究を行う小学校もあった。また、給食でおいしいパンを食べたいという児童の希望から、珍しい校内製パン工場が高輪台小学校に作られた。保護者の熱心な設置活動が実を結んだ事例である。それらをはじめ、「食育基本法」(平成17年)に通じる豊かな「食」の実践が行われてきたといえよう。
このように、学校での「食」は、さまざまな課題解決に向けた試みが重ねられて変化し、現在もその途上にある。例えば、給食の調理・提供方法やその費用をどう賄うのかという課題は、佐伯が学校給食の必要性を説いた当初から挙げられていた。また、学校給食は、その誕生時点から常に貧困対策の側面を有していたが、昨今も、貧しい子どもの食生活のセーフティネットになっていることが指摘されている。そうした実態は、図らずもコロナ禍での休校や給食の停止・縮小により顕在化することとなり、学校給食の役割やあり方の再考を促している。加えて、コロナ禍は学校衛生に多大な影響を及ぼし、黙食や消毒など給食の習慣も変容させている。その他、近年頻発する災害においても、学校などの区民避難所における食料確保と給食方法は、随時見直されている。
そうしたことについて考える際に、戦前の学校における「食」の経験は、一定の参照軸になるのではないだろうか。なぜなら、ここまで見てきたように、さまざまな取り組みのそこかしこに、戦後の学校給食の基本理念がすでに息づいていたからである。学校給食は、古くて新しい問題なのだ。