〔第2節 青い目の人形〕

293 ~ 295 / 321ページ
昭和2年(1927)3月3日、明治神宮外苑日本青年館で「人形歓迎会」が日本国際児童親善会によって開かれた。この日本国際児童親善会という団体は渋沢栄一が立ち上げたもので、当時険悪になっていた日米関係の改善を目指すために結成された。「人形歓迎会」は、アメリカから日米の子どもたちの親睦を深めるために、元宣教師シドニー・ギューリックが日本に贈った青い目の人形約1万2千体を歓迎する式典だった。ギューリックは大正元年(1912)に渋沢と、世界共通の倫理を追究して世界平和の実現を目指した「帰(き)一(いつ)協会」という団体を立ち上げた人物でもある(4)。なお、青い目の人形への返礼として、日本からは58体ほどの市松人形が贈られた。
「人形歓迎会」では文部次官の松浦鎮次郎が司会をし、経過報告を文部省普通学務局長がしていることからも、日本国際児童親善会という団体は、文部省からの強力なバックアップがあったことがわかる。この式典を通して、日本各地の学校に青い目の人形が配られていくのであるが、港区の場合、東洋英和幼稚園の他、人形が送られた学校として現在判明しているのは白金小学校、神明小学校、三光(さんこう)小学校[図14―2]、桜川小学校である。また、桜田小学校で撮影したと思われる写真には、雛飾りの前で2体の市松人形の間に青い目の人形が置かれている光景が写されている[図14―3]。
白金小学校『明治二十一年―大正十五年学校日誌抜』によれば、昭和2年2月28日に「アメリカ寄附人形ヲ市ヨリ交領(一ヶ)」、つまり1体のアメリカ人形がすでに学校に届いていた。翌3月1日には校長がアメリカ人形についての訓話をしている。また、先ほど紹介した3月3日の人形歓迎会には尋常小学6年生女児代表3人が出席していた。


[図14-2] 亜米利加人形歓迎式(昭和2年)

旧三光小学校所蔵



[図14-3] 人形飾り(昭和4年)

旧桜田小学校所蔵

関連資料:【見る・知る・伝える~港区教育アーカイブ~】日米の子どもをつないだ「人形使節」