港区の教育関連事項

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No 時代 和暦年 西暦年 港区の教育関連事項 事項文 備考
1 私塾・寺子屋は、明治以前より芝・麻布・赤坂地区に多く存続。明治6年の『開学願書』『開学明細調』および明治23年~26年刊の『日本教育史資料』によると明治以前からのものは56に達していた。これを開業年別に見ると、以下の存在が確認できる。
・江戸晩期、芝には慶應義塾をはじめ10の私塾、龍江堂をはじめ27の寺子屋
・文久の頃、赤坂には24の私塾
・江戸末期、赤坂には歳泉堂(慶應のころ、生徒数380)
・明治初年、麻布には端塾をはじめ10の私塾、三峡堂をはじめ13の寺子屋
・維新後、芝には慶應義塾、攻玉塾をはじめ14の私塾と区(郷)学校をはじめ35の寺子屋
通史編】: 1巻序章第2節第2項(2)
資料編】: 文書
くらしと教育編】: 第2章第1節(4)
2 慶応4年閏4月 1868/4 福沢諭吉、学塾を築地鉄砲洲より芝新銭座に移転、慶應義塾と定める
通史編】: 1巻序章第2節第3項(1)
3 明治3年4月 1870/4 区学所培其根、飯倉町に開所
4 明治3年6月 1870/6 増上寺内源流院に仮小学第一校として開校(鞆絵小学校前身)
くらしと教育編】: 第2章第2節(1)
5 明治3年6月 1870/6 赤坂裏伝馬町2の自身番跡に習学所開設(赤坂小学校の前身)
くらしと教育編】: 第2章第2節(2)
6 明治4年3月 1871/3 慶應義塾、芝三田の旧島原藩邸に移転
7 明治4年3月 1871/3 攻玉塾が慶應義塾跡芝新銭座に移る
通史編】: 1巻序章第2節第3項(1)
8 明治4年8月 1871/8 工部省所属学舎「工学寮」虎ノ門内、日向延岡藩邸内に置く。寄宿寮を赤坂潮見坂下の松平大和守邸内「現大倉集古館」付近に設置
通史編】: 1巻序章第3節第1項(1)
9 明治4年12月 1871/12 小学第一校(鞆絵小学校前身)、西久保巴町45・46・47に移転。府内の他の5校とも文部省直轄となる
10 明治4年 1871 春林寺本堂(三田4丁目1番地)で授業開始(南海小学校前身)
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