No |
和暦年 |
西暦年 |
港区の教育関連事項 事項文 |
国・都・区の関連事項 事項文 |
1
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安政元年
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1854
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日米和親条約調印(下田・箱館の2港開港)
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2
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安政5年
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1858
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日米修好通商条約調印
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3
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安政5年10月
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1858/10
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福澤諭吉江戸築地鉄砲洲に蘭学の一小家塾を開く(慶應義塾の起源)
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4
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安政6年
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1859
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横浜港開港
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5
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慶応3年
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1867
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徳川幕府滅亡
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6
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慶応4年1月
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1868/1
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戊辰戦争〔~明治2年(1869)5月〕
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7
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慶応4年1月
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1868/1
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王政復古を各国公使に通告
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8
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慶応4年2月
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1868/2
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学校掛を置き、学校取調を任命
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9
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慶応4年2月
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1868/2
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『太政官日誌』創刊
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10
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慶応4年3月
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1868/3
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五箇条の御誓文・国威宣揚の御宸翰を発布
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11
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慶応4年3月
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1868/3
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京都の学習院を再興
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12
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私塾・寺子屋は、明治以前より芝・麻布・赤坂地区に多く存続。明治6年の『開学願書』『開学明細調』および明治23年~26年刊の『日本教育史資料』によると明治以前からのものは56に達していた。これを開業年別に見ると、以下の存在が確認できる。 ・江戸晩期、芝には慶應義塾をはじめ10の私塾、龍江堂をはじめ27の寺子屋 ・文久の頃、赤坂には24の私塾 ・江戸末期、赤坂には歳泉堂(慶應のころ、生徒数380) ・明治初年、麻布には端塾をはじめ10の私塾、三峡堂をはじめ13の寺子屋 ・維新後、芝には慶應義塾、攻玉塾をはじめ14の私塾と区(郷)学校をはじめ35の寺子屋
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13
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慶応4年閏4月
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1868/4
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福沢諭吉、学塾を築地鉄砲洲より芝新銭座に移転、慶應義塾と定める
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出版物の無許可発行を禁止
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14
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慶応4年6月
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1868/6
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医学所(校)を設置
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15
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慶応4年6月
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1868/6
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昌平学校を設置(湯島の旧幕府昌平黌)
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16
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慶応4年7月
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1868/7
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江戸を東京と改称
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17
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慶応4年7月
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1868/7
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東京府「算筆稽古所」の触を出す
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18
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慶応4年8月
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1868/8
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昌平学校・医学校を東京府所管とする
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19
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慶応4年8月
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1868/8
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明治天皇即位の大礼
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20
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明治元年9月
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1868/9
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明治と改元、一世一元の制を定める
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21
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明治元年9月
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1868/9
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開成所(旧幕府設置)を復興
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22
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明治元年9月
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1868/9
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皇学所・漢学所を京都に創設
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23
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明治元年10月
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1868/10
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江戸城を皇居とし、東京城と改称
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24
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明治元年10月
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1868/10
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開成所を東京府所管とする
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25
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明治元年11月
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1868/11
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学校取調係発足・山内豊信(議定)森有礼ら学校取調兼勤となる
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26
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明治2年1月
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1869/1
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開成所(学校)開校、同校に仏・英2学科を設け、外国人教師が教授するものを正則とし、邦人教官が訳読によって教授するものを変則とする
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27
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明治2年1月
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1869/1
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築地に外国人居留地を設置
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28
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明治2年2月
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1869/2
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府県施政順序規則を定め、その中で小学校の設立を奨励
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29
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明治2年3月
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1869/3
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東京遷都
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30
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明治2年3月
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1869/3
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東京府、市中の名主制廃止
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31
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明治2年5月
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1869/5
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京都上京第二十七番組小学校(柳池小学校)創立(同年末までに64校)
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32
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明治2年6月
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1869/6
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版籍奉還、知藩事を設置
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33
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明治2年7月
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1869/7
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大学校の官制を定める(大学校は学校であると同時に政府の教育行政官庁となり、府藩県の学校行政をも統轄)
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34
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明治2年12月
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1869/12
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大学校を大学、開成学校(開成所)を大学南校、医学校を大学東校と改称
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35
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明治3年1月
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1870/1
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大教宣布の詔勅を発布
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36
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明治3年2月
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1870/2
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「大学規則」「中小学規則」を定める
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37
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明治3年4月
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1870/4
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区学所培其根、飯倉町に開所
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種痘を全国に施行
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38
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明治3年6月
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1870/6
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増上寺内源流院に仮小学第一校として開校(鞆絵小学校前身)
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東京府は府下に小学校6校を開設する
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39
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明治3年6月
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1870/6
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赤坂裏伝馬町2の自身番跡に習学所開設(赤坂小学校の前身)
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40
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明治3年9月
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1870/9
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庶民に姓(名字)の呼称を許可
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41
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明治3年9月
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1870/9
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東京府に中学校を開設
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42
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明治3年10月
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1870/10
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兵制統一布告(陸軍はフランス式、海軍はイギリス式を採用)
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43
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明治3年11月
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1870/11
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徴兵規則を発布
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44
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明治3年12月
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1870/12
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『横濱毎日新聞』創刊(日本最初の日刊紙)
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45
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明治3年12月
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1870/12
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私塾の開設は地方官の許可を受けることとする
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46
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明治3年12月
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1870/12
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庶民の佩刀を禁止
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47
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明治3年
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1870
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この年、福澤諭吉『西洋事情』出版
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48
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明治4年1月
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1871/1
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郵便規則を制定
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49
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明治4年3月
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1871/3
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慶應義塾、芝三田の旧島原藩邸に移転
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50
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明治4年3月
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1871/3
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攻玉塾が慶應義塾跡芝新銭座に移る
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