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港区史 第3巻 通史編 近世 下
(名所化する泉岳寺)
名所化する
泉岳寺
泉岳寺
は江戸における曹洞宗の触頭(ふれがしら)の一つ(三章二節四項参照)で、慶長一七年,この
泉岳寺
の名を高からしめたのは、元禄赤穂事件と、その後に上演された「忠臣蔵」であろう。 ,
泉岳寺
は、この忠臣蔵人気を背景に多くの参詣者が訪れる地となっていった。,図5-3-1-3
泉岳寺
の墓所 『江戸循覧記』三 公益財団法人東洋文庫所蔵
泉岳寺
では、このような,
泉岳寺
の名所化は、メディアを巻き込んだ相乗的効果の所産であったといえよう。 / 名所化する
泉岳寺
新修港区史
((6) 泉岳寺(高輪二丁目一一―一))
(6)
泉岳寺
(高輪二丁目一一―一) 【イギリス公使パークス】
泉岳寺
は忠臣蔵の赤穂浪士の墓で名高いが,について、当時品川沖に停泊中であったロシア軍艦艦長ウンコースキーと外国奉行溝口讃岐守(直清)らがこの
泉岳寺
,また、慶応元年(一八六五)六月、新しく着任したイギリス公使パークスは、幕府にたいし
泉岳寺
およびその隣接地,外国人接遇所は赤羽にあったほうが有名であるが、
泉岳寺
に設けられたものはいわゆる高輪外国人接遇所として知,しかし、勘定奉行駒井朝温らの検分から約一カ月後、幕府はイギリス公使館書記官ユースデンにたいし
泉岳寺
内の / (6)
泉岳寺
(高輪二丁目一一―一)
港区史 第3巻 通史編 近世 下
(土砂、明俵、野芝の調達)
土砂、明俵、野芝の調達 土砂は、幕府の斎藤嘉兵衛代官所支配領内にあたる御殿山、八ッ山(やつやま)、
泉岳寺
山,この土取りによって、御殿山の中央には大きな窪地ができ、八ッ山は大きく削平され、
泉岳寺
山はその姿を消した,このうち、
泉岳寺
山の土出しの風景を描いた史料として、「甲寅記事画巻(こういんきじえまき)」がある(図6,絵巻物の冒頭に配された図6-1-4-2a「
泉岳寺
境内土堀之図」は、
泉岳寺
中門外で参道両脇にあった
泉岳寺
山,土出場や遠く台場を臨む構図であることから、
泉岳寺
山方面からの視点であろう。
港区史 第3巻 通史編 近世 下
(外国公館の増強)
外国公館の増強 慶応元年(一八六五)六月一三日、パ-クスは老中水野忠精(ただきよ)と会談、
泉岳寺
前の,高輪接遇所は
泉岳寺
中門の東南、現在の区立
泉岳寺
前児童遊園を含む高輪二丁目一五番の西北の一帯に位置しており,、接遇所とその付属施設の面積は四九九三坪余である(「高輪
泉岳寺
境内上ヶ地接遇所惣絵図」)。
港区史 第2巻 通史編 近世 上
(教学機関の整備)
港区域の曹洞宗では、
泉岳寺
の学寮や青松寺(せいしょうじ)の学寮(獅子窟(ししくつ))が知られている。,図3-2-5-1は『江戸名所図会』(天保五~七年〈一八三四~一八三六〉刊)から
泉岳寺
の挿絵(さしえ)を,なお、「諸宗作事図帳」の
泉岳寺
の図面(同年)にも学寮・衆寮(しゅりょう)が描かれている。 ,図3-2-5-1 『江戸名所図会』より
泉岳寺
国立国会図書館デジタルコレクションから転載(部分)
港区史 第2巻 通史編 近世 上
(曹洞宗の関三刹と江戸三箇寺)
それとは別に、江戸の曹洞宗寺院を統括する江戸三箇寺(さんかじ)として
泉岳寺
(同10番)・青松寺(同11,
泉岳寺
と言えば赤穂浪士が連想されようが(名所化については五章四節一項参照)、江戸三箇寺の一つとして曹洞宗
港区史 第3巻 通史編 近世 下
(第四項 芝神明前の版元と錦絵の主題)
で、「義士の銘々伝物」と称すべき揃物の流行は、嘉永元年(一八四八)の二月二九日から行われた六〇日間の
泉岳寺
,
泉岳寺
には浅野内匠頭(たくみのかみ)と赤穂浪士たちの墓所があり、彼らの遺品を公開する開帳は人気があったが,『藤岡屋日記』には、この
泉岳寺
の開帳を当て込んで売り出された錦絵の数々について言及した箇所がある。,当春中、
泉岳寺
開帳之節も、義士の画色々出候へ共、何れも当らず、其内にて、堀江町二丁目佐兵衛店、団扇問屋,彼らが
泉岳寺
を詣でたその足で、芝神明前の絵双紙屋街を訪ねることが日常的にあったはずであり、その際に
泉岳寺
参詣
港区史 第3巻 通史編 近世 下
(公使の江戸再進出)
慶応元年(一八六五)二月一一日、イギリスの代理公使チャ-ルズ・ウィンチェスタ-は幕府に、
泉岳寺
を公使館,ウィンチェスタ-から老中にあてた書簡には、現在外国公館が江戸から離れていることの不都合が記されている(「高輪
泉岳寺
港区史 第2巻 通史編 近世 上
(大名の江戸菩提寺)
特に東禅寺(臨済宗)は一四家、天徳寺(浄土宗)は一一家、
泉岳寺
(曹洞宗)は九家、青松寺(曹洞宗)も九家,このうち東禅寺・
泉岳寺
・青松寺と、金地院(臨済宗)、瑞聖寺(黄檗宗)は触頭寺院であり(本章二節四項参照
港区史 第7巻 通史編 現代 中
(観光)
観光 港区には、東京タワーをはじめ、増上寺や
泉岳寺
、旧芝離宮恩賜庭園等の歴史文化施設のほか、近代建築
港区史 第2巻 通史編 近世 上
(江戸の拡張)
港区域について言えば、「寛永江戸全図」の段階で都市域は高輪の
泉岳寺
・如来寺付近、南麻布付近まで拡がっており
港区史 第7巻 通史編 現代 中
(高輪地区)
港区立郷土歴史館 【三田(四~五丁目)、高輪、白金台(一~三丁目)周辺】 この地域は、多くの坂や
泉岳寺
,さらに、白金高輪駅および
泉岳寺
駅とその周辺を含めた公共交通の利用時の利便性の向上を含め、道路整備や公共交通,景観や緑の保全・創出に関しては、
泉岳寺
や瑞聖寺等の文化財建造物をはじめとした古くからの価値ある建造物の,品川開発プロジェクト一期(高輪ゲートウェイ駅周辺再開発)は、
泉岳寺
駅の東側一帯に広がる、JR品川車両基地,広域交通拠点となる品川駅および高輪ゲートウェイ駅や
泉岳寺
駅の周辺においては、地上・地下・デッキレベルでの
港区史 第3巻 通史編 近世 下
(〔口絵〕)
赤坂氷川神社所蔵 口絵 11 狩野豊久筆「神馬図」 赤坂氷川神社所蔵 口絵12
泉岳寺
境内土堀之図
港区史 第3巻 通史編 近世 下
(図版一覧)
増上寺富札 口絵10 狩野豊久筆「獅子図」 口絵11 狩野豊久筆「神馬図」 口絵12
泉岳寺
境内土堀之図, ⑥「赤坂 神仏 川けん」 ⑦「神仏閣 赤円子」 図5-3-1-3
泉岳寺
,の墓所 図5-3-1-4 「東都高輪
泉岳寺
開帳群集之図」 図5-3-2-1 湯火傷呪(「上の字様,台場掛宿舎位置関係図 図6-1-4-1 内海台場構築資材の調達分布図 図6-1-4-2a 「甲寅記事画巻」
泉岳寺
境内土堀之図
港区史 第2巻 通史編 近世 上
(近世触頭寺院の成立)
曹洞宗では江戸三か寺のうち青松寺(せいしょうじ)と
泉岳寺
が区域内に立地する。,
泉岳寺
は慶長七年(一六〇二)に外桜田にて寺地を拝領したが(図1-1-1-2〈2-⑧〉)、寛永一八年(一六四一
新修港区史
((一) 外国公館が置かれた寺院等)
の長応寺、旧麻布本村町の春桃院など、いずれも外交官の公館として使用され、芝増上寺、赤羽門付近と、高輪
泉岳寺
門前
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(区内交通の発展)
が軽微だった山の手では早くから運転を再開し、港区域では、九月八日に青山六丁目―桜田門間、四ツ谷塩町―
泉岳寺
前間
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(近代文化財の保存意識のめばえ)
この本に港区域から掲載されているのは、高輪岩崎別邸門(旧岡山藩上屋敷長屋門)、高輪
泉岳寺
四十七士墓、芝公園貝塚
図説 港区の歴史
(御殿山と高輪接遇所)
攘夷の風潮がおさまってきた慶応2年(1866)、幕府は
泉岳寺
の門前にイギリス公使館を建設します。
港区史 自然編
(3)芝から高輪へ(図1-ⅰ-5))
二本榎通りから伊皿子坂を下ると
泉岳寺
の門前になる。
新修港区史
(【開帳】)
49 不明 三田寺町 願海 寺 不動 50 1750 3 夏 芝
泉岳寺
,;60日 三田寺町 慈眼 寺 天台 腹筵十一面、中将姫蓮 糸織観音 85 4・朔~ 芝
泉岳寺
,;4 3・15~ 60日 増上寺中 宝珠 院 浄土 弁才天 未 116 不明 芝
泉岳寺
,曹洞 釈迦八相曼荼羅 117 1836 7 2・16~ 60日 芝
泉岳寺
,麻布広尾 天現 寺 毘沙門天 129 1848 嘉永元 2・29~ 60日 芝
泉岳寺
新修港区史
((四) 地下鉄と新しい街の形成)
開通による六本木周辺の繁華街化、都営三田線の開通による御成門駅付近のビジネス街の新橋方面からの拡延化、
泉岳寺
駅付近
港区史 第4巻 通史編 近代 上
(鉄道の発展)
について、「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として 右は高輪
泉岳寺
図説 港区の歴史
(協力機関・協力者(掲載史料所蔵機関及び協力機関))
本芝町会 宗教法人日本基督教団安藤記念教会 祥雲山龍澤寺 昭和館 西武鉄道株式会社 世田谷区
泉岳寺
赤穂義士記念館
港区史 第2巻 通史編 近世 上
(寛永江戸全図)
その南東には、『江戸庄図』や「江戸図屛風」では麻布の丘陵地に描かれていた
泉岳寺
〈4-⑦〉や「霊南」(東禅寺,)〈4-⑧〉が移転してきていることも確認できる(東禅寺は寛永一三年〈一六三六〉、
泉岳寺
は同一八年〈一六四一
港区史 第2巻 通史編 近世 上
(港区域の寺社の特色)
円福寺・真福寺(共に新義真言宗)や青松寺(せいしょうじ)(曹洞宗)、芝の金地院(こんちいん)(臨済宗)や
泉岳寺
図説 港区の歴史
(御台場の構築方法)
ここには土丹岩のほか、主に
泉岳寺
山・八ッ山(やつやま)・御殿山(現在の高輪・品川区北品川)などで採取した
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(戦間期の港区の治安状況)
海軍中尉古賀清志ら軍人決死隊・第二班は、高輪の
泉岳寺
に集合した後、芝区三田台町の牧野内大臣官邸を襲撃したが
港区史 第3巻 通史編 近世 下
(芝車町・如来寺門前町)
如来寺門前町をはさんで飛地となっている屋敷36は、寛永一九年(一六四二)に町の一部が
泉岳寺
大門の用地として
港区史 第2巻 通史編 近世 上
(大名家臣の菩提寺)
このほか、曹洞宗の有力寺院
泉岳寺
の三つの子院(四家)、曹洞宗の保安寺(ほあんじ)(四家)、増上寺の子院
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(宗教団体への統制強化)
泉岳寺
(高輪二丁目)では、現在の講堂である義士館と山門を除く諸堂が焼失した。
港区史 第2巻 通史編 近世 上
(武州豊嶋郡江戸庄図)
丘陵部には愛宕権現(あたごごんげん)〈2-⑥〉や広岳院(こうがくいん)(のちに移転)〈2-⑦〉、
泉岳寺
港区史 第3巻 通史編 近世 下
(6-1 コラムB 長州藩の江戸湾防備と麻布下屋敷)
浅草や上野、湯島など多くの名所を訪ね、港区域では「増上寺」「神明あたご」「芝
泉岳寺
」などの見物をしている
港区史 第2巻 通史編 近世 上
(近世港区域の特色)
伊皿子・二本榎から高輪にかけての台地には
泉岳寺
や東禅寺などの寺院や武家屋敷が展開した。
港区史 第3巻 通史編 近世 下
(参考文献)
Satow :1861-1869 Eureka Press(Kyoto) 「サトウ日記」と表記 「高輪
泉岳寺
境内上,ヶ地接遇所惣絵図」外務省引継書類、東京大学史料編纂所所蔵 「高輪
泉岳寺
ニ於テ英国仮公使館造営一件」外務省引継書類
港区史 自然編
(2)谷地形の分布)
麻布善福寺の「柳の井戸」(写真1-ⅱ-5)や有栖川宮記念公園、自然教育園、
泉岳寺
などで湧水が確認されている
新修港区史
(高輪一~四丁目)
現二丁目一五番、二丁目一四番付近)、芝
泉岳寺
(寛永十八年〔一六四一〕霊南坂上から移転と同時に門前設立。,その付近に商店街が形成され、また、明治末から現三丁目一~九番が住宅に細分されたのが大きい変化で、名所
泉岳寺
門前
新修港区史
((一) 緑化)
衆議院議長公邸 愛宕神杜 明治学院大学 東大医科学研究所 東禅寺 明治神宮外苑(樹林)
泉岳寺
図説 港区の歴史
(港区内の学び舎)
HP:https://www.zojoji.or.jp/takara
泉岳寺
赤穂義士記念館
新修港区史
((六) 港区の交通機関)
都 営 地 下 鉄 新橋駅 大門駅 三田駅(浅草線) 〃 (三田線) 高輪台駅
泉岳寺
駅,二、八四三万七、八八〇人となり、第七位は地下鉄虎ノ門駅の二、六六四万一、三五〇人、第八位は都営地下鉄
泉岳寺
駅
図説 港区の歴史
(地域特性の成立)
芝の増上寺(浄土宗)、金地院(こんちいん)(臨済宗)、
泉岳寺
(曹洞宗)、愛宕の円福寺・真福寺(新義真言宗
新修港区史
(【港区地域での開帳】)
増上寺山内の宝珠寺が弁才天を七回開帳しているのを筆頭に、三田浄閑寺(魚籃観音)、青山善光寺(阿弥陀)、芝
泉岳寺
新修港区史
(赤坂一~九丁目)
江戸都心からみて霊南坂上の高台をいい、ここには嶺南庵(坂名の由来)が慶長十五年(一六一〇)に、翌々年
泉岳寺
,嶺南庵は東禅寺と改称して寛永十三年(一六三六)に、
泉岳寺
は同十八年にそれぞれ高輪の現在地へ移った。
新修港区史
((1) 名主制度の廃止と五十番組)
え合併 ○麻布日ヶ窪町代地 麻布永松町え合併 ○同所谷町代地 三田老増町え合併 拾八番組 ○芝
泉岳寺
門前
新修港区史
(宅地規模)
14.6 17.6 17.4 19.8 25.8 13 芝車町 芝大円寺門前町 芝
泉岳寺
門前町
図説 港区の歴史
(歴史年表)
京都から招かれた牛持、高輪海辺(芝車町)を拝領 寛永18年 1641
泉岳寺
,門に移る 元禄14年 1701 田村右京太夫上屋敷で浅野内匠頭が切腹し、
泉岳寺
, ■赤穂浪士が吉良上野介邸に討入る 元禄16年 1703 2月4日 赤穂浪士が切腹し、
泉岳寺
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(第二項 警察)
また、海軍中尉の古賀清志らは、
泉岳寺
山門前の茶店力亭に集まった上で、内大臣の牧野伸顕が住む、芝区三田台町
港区史 第4巻 通史編 近代 上
(第二項 仏教・神道勢力の動向)
代表的なものを挙げれば、青松寺や
泉岳寺
(高輪二丁目)であろう。
港区史 自然編
(3)動物の歴史的変遷)
その中でも「牛 車うし」は、現在の高輪2丁目の
泉岳寺
辺りが有名である。
港区史 第2巻 通史編 近世 上
(近世編の概要)
信仰については、港区域における寺社参詣と名所について巡拝ルートや千社札、花見、
泉岳寺
の名所化、願掛け、
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