機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
港区/デジタル版 港区のあゆみ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 100件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 2ページ
新修港区史
(町会)
町会
震災後の東京で、市民生活に次第に大きな役割を果たすようになったものに
町会
がある。,【
町会
の起こり】 町内会は明治時代の末ごろから市内に散見されるようになったが、それらは主として町内の親睦団体,しかし、日清・日露の両役では、出征軍人の家族や傷病兵関係から軍事援護の目的で結成される
町会
――それも一,
町会
も少なくない。,になってのことであり、
町会
、ことにその
町会
長は区行政へと次第に結びついていった。 /
町会
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(町会の会計)
町会
の会計
町会
の会計については、活動概要と同様に個別性が強く、また年代によって活動自体が異なってくるため,
町会
の予算は概ね、会費、補助金・報奨金、雑収入、寄附の四項目から構成されている。,表5-2-2 港区
町会
の会計運営 港区提供の
町会
関係資料から作成。,区内の前述一四
町会
でも、会費の占める割合は平均で69%となっており、全国的な傾向と差はない。,なお、この会計とは別に祭祀関係の特別会計を組んで収支決算している
町会
も確認できる。 /
町会
の会計
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(町会と隣組)
町会
と隣組 すでに述べたとおり、戦時下の地域住民組織としては
町会
(町内会)が存在し、これが行政と地域社会,
町会
は、元々ゴミや屎尿、衛生問題への対応のための団体や、神社の氏子団体を源流とするものが多く、軍事援護,昭和一五年九月、内務省が
町会
などの下部機構整備を通達し、隣組制度は
町会
の下部組織として位置付けられた。,そして昭和一八年三月には市制改正により、
町会
が地方自治制度の末端を担う法的な位置付けを明確に与えられた, 図4-3-1-1 東京市隣組回報(昭和16年〈1941〉7月18日) 広尾
町会
で /
町会
と隣組
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(町会の規約)
町会
の規約
町会
の事業活動分野は多岐にわたっており、その内容も個別
町会
によって千差万別であるため、一概,ここでは、
町会
活動を規定する規約に定められている内容から大枠を捉えてみよう。,港区内の
町会
の規約については、基本的な構成として「総則」「組織」「役員」「事業」「会議」「会計」「附則,「総則」の項では、
町会
の名称、事務所の場所、結成目的などが記される。,「組織」の項では、当該
町会
の範囲となる住所、入退会方法、総会への出席権などが記される。 /
町会
の規約
新修港区史
(町会改組と隣組)
町会
数 (昭和十七年四月一日現在) 区 名 町 会 隣 組
町会
会員 一
町会
当たり (平均) 一隣組,戦争が次第に苛烈な方向に進展してゆくにつれて、十八年五月決戦体制にそうため
町会
の一大改編が行なわれ、一
町会
,を四〇〇~六〇〇ぐらいの単位の世帯にわけ、一
町会
一〇〇〇~一五〇〇世帯もある
町会
を、二または三
町会
として,いわば、上意下達の迅速化をはかり、
町会
内の法人・工場・学校までも
町会
員とし、主として消費生活のための配給,そして、
町会
は八部門に分かたれ、
町会
長の任期を二年とし、
町会
長の責任を重くした。 /
町会
改組と隣組
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(講和独立後の町会)
講和独立後の
町会
講和独立後当時の
町会
の姿を知るために、自治庁が昭和三一年(一九五六)に行った全国調査,
町会
の名称については、概ね都市部が町内会や
町会
、自治会などの名称を採用している一方で、町村などの農村部,サンプル抽出基準は二三区ごとに五
町会
であったが、中野区が三
町会
、千代田区と江戸川区が四
町会
に留まっている,港区からは、愛宕出張所管内の新橋六丁目
町会
、竹芝出張所管内の本芝
町会
、三田出張所管内の北四国
町会
、本村出張所管内,
町会
への加入率については、概ね二三区民全世帯の四分の三程度が既に
町会
に加入していたと見られる。 / 講和独立後の
町会
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(町会参加者の推移)
町会
参加者の推移 図5-2-2は、昭和五二年(一九七七)から平成二八年(二〇一六)までの四〇年間における,港区人口の推移と
町会
参加会員数の推移を示したものである。,この間、
町会
の数は若干の変動はあったものの、概ね二三〇前後で安定的に推移している。,一方、
町会
参加会員数は一九八〇年代後半にかけて急激に増加していくが、総人口の推移よりは緩く平成一二年頃,この平成一八年以降における五地区ごとの
町会
参加会員数の推移は図5-2-3のとおりである。 /
町会
参加者の推移
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(町会の活動概要)
町会
の活動概要
町会
は定期的に総会を開き、年度内の活動概要を報告・紹介することが多い。,以下では、複数の
町会
の総会資料に記載されていた活動概要を分野別に整理して、港区内の
町会
が具体的にどのような,当然ながら、これらの活動をすべての
町会
が実施しているわけではない。,建設業者との協議/各種まちづくり説明会への参加/各種ヒアリング対応 これらを概観すればわかるとおり、
町会
,いずれの活動においても
町会
役員層の高齢化や慢性的な人材難という問題が密接に関連しているものと思われる。 /
町会
の活動概要
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(戦争末期の町会)
戦争末期の
町会
昭和一八年度(一九四三)以降には「警報発令出動役員茶菓代」「手押ポンプ操縦訓練指導員弁当代,指導員戦事死亡傷害保険料」「巡回修理隊員及工作場礼」などがみえ、物資や食糧の不足、空襲の切迫感など、
町会
,そして昭和二一年の記録もまばらで、同二二年四月二五日付で「
町会
廃止ニ付キ隣組長ニ記念品トシテ市電回数券二冊宛一,右のとおり、いわゆる「銃後」を支える存在としての
町会
の役割は極めて大きなものであった。 / 戦争末期の
町会
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(東京市の町会整備とその影響)
東京市の
町会
整備とその影響 次に戦時期の港区域における地域住民組織である町内会(
町会
)について検討を,この時期の
町会
の変遷については、東京市が刊行した『東京市の
町会
』(東京市 一九四〇)が詳しい。,東京市では、昭和四年の「
町会
ニ関スル制度調査委員」の設置以降、
町会
の整備が課題とされた。,こうしたなかで昭和一三年四月に、東京市告示として「東京市
町会
規準」が、五月に「東京市
町会
規約準則」が相次,以上のように、東京市では戦争以前から課題となっていた
町会
整備が、日中戦争開始後の
町会
への新たな活動の期待 / 東京市の
町会
整備とその影響
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(占領政策の終焉と町会の復活)
占領政策の終焉と
町会
の復活 ポツダム勅令が失効する昭和二七年(一九五二)一〇月二四日までの間、
町会
は,ただし、政令第一五号によって完全に
町会
が廃止されたかというと、実態はやや違ったものとなっていたようである,配給業務や通達連絡業務といった自治体行政からの仕事が
町会
の手から離れたことはそのとおりではあったが、親睦団体,に総理府の機関がまとめた報告書によれば、全国六〇市町村内の四一五地区を対象としたサンプル調査において
町会
,な市町村合併の推進に積極姿勢をとっている渦中にあったことに鑑みれば、市区町村内部の地域的組織であった
町会
/ 占領政策の終焉と
町会
の復活
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(銃後を担った町会のすがた)
銃後を担った
町会
のすがた 本区史の編纂に伴って詳細が調査され、通史編近世や近代の明治維新直後の行政に,関する章にも取り上げた麻布本村
町会
資料にここで着目してみたい。,記録再開後の資料は
町会
の会計簿で、欠が多いものの八冊が残されている。,それを地域社会のなかで実践するために
町会
は大きな役割を果たしていた。,ポスター書代」(昭和一四年七月)といったように防空意識の日常的な啓発や訓練が繰り返され、意識の浸透に
町会
/ 銃後を担った
町会
のすがた
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(政令第一五号による町会廃止の徹底)
政令第一五号による
町会
廃止の徹底 だが、内務省の意に反してこの廃止措置を甘く考え、旧
町会
長が発起人となった,形ばかりの任意団体が作られたり、
町会
役員をそのまま市区町村の嘱託員に任命しようとしたりする動きが各地で,にわたって地域に根を下ろしている隣保組織が国の呼びかけ一つで霧消するはずもなく、実態としては依然として
町会
,とりわけ、四月五日に実施された都道府県知事・市区町村長選挙では、
町会
役員などがこれまでの地位を利用して,この政令第一五号により、従来の
町会
は名実ともに終止符を打つこととなった。 / 政令第一五号による
町会
廃止の徹底
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(公職追放と訓令第四号による町会廃止)
公職追放と訓令第四号による
町会
廃止 ポツダム宣言の受諾とともに始まったGHQによる占領政策において、,
町会
をめぐる問題は当初から懸案とされていた。,の中軸を形成していた
町会
は、民主化を旨とするGHQの占領政策上の方針と真っ向から対立する旧態依然な組織,そこでGHQは、次なる地方公職追放の対象に
町会
長経験者も含めるよう内務省に指示した。,
町会
の解体を考えていたのではなかった。 / 公職追放と訓令第四号による
町会
廃止
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(新史料からみる戦時期の町内会――三田松坂町会の事例)
以上の「組」に関する規程の変化は、先にみた昭和一三年の「東京市
町会
規約準則」第一〇条での
町会
における「,まず第二条で、「本
町会
ノ組織及運営ニ関シテハ東京市
町会
規程其ノ他別ニ定ムルモノヲ除クノ外本規約ノ定ムル,「東京市
町会
規程」は、昭和一八年四月に東京市告示として出され、その第一条では「本市ノ
町会
及隣組ノ組織及運営,つまり昭和一八年の三田松坂
町会
の大幅な規約変更は、同年に東京市が管下の
町会
および隣組に一律に適用した規定,」が発せられたが、三田松坂
町会
では
町会
内の「組」編成などは検討されつつも、規約の骨格部分は昭和二年以来 / 新史料からみる戦時期の町内会――三田松坂
町会
の事例
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(新史料からみる戦間期の町内会――三田松坂町会の事例)
町会
への改編がなされたと考えられる。 ,変更された「昭和弐年四月改正 芝三田松坂
町会
規約」ではまず第一条で「本会ヲ芝三田松坂
町会
ト称シ町内一般,』(1919)、『芝松坂町愛友会規約』(1924)、『芝松坂町
町会
規約』(1925)、『芝三田松坂
町会
規約,『芝三田松坂
町会
規約』(1927)をもとに作成 表3―2―3―6 三田松坂
町会
の,表3―2―3―7 各年度収支決算からみる三田松坂
町会
の活動 『芝三田松坂
町会
規約』(1928~1938 / 新史料からみる戦間期の町内会――三田松坂
町会
の事例
港区史 第8巻 通史編 現代 下
(阪神・淡路大震災と町会・自治会の再認識)
阪神・淡路大震災と
町会
・自治会の再認識 平成七年には阪神地方、淡路島に未曾有の大地震が勃発し、神戸市,そうした中で、震災からの復興の過程において、その重要性が指摘され、社会的な関心を集めたのが、
町会
や自治会 / 阪神・淡路大震災と
町会
・自治会の再認識
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(第五章 区民のくらしと地域社会)
第五章 区民のくらしと地域社会 第二節 区内
町会
・自治会の実相 割拠的な
町会
活動 昭和二二年(,五地区ごとに見ていくと、平成二八年現在で、
町会
が七七団体ある芝地区には「愛宕一之部連合
町会
」「愛宕二之部連合
町会
,」「愛宕三之部連合
町会
」「愛宕四之部連合
町会
」という連合会が四団体あり、
町会
四三団体の麻布地区は「麻布
町会
,なお、「麻布
町会
・自治会連合会」は平成元年九月に東京都
町会
連合会に加入しているが、その他の連合会は未加入,また、認可地縁団体として登録されている
町会
を除き、大多数の
町会
は任意団体として活動を行ってきたことになっている
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(第五章 区民のくらしと地域社会)
第五章 区民のくらしと地域社会 第一節
町会
・自治会の再出発 戦時体制と
町会
・自治会 一般的に,」「東京市
町会
規準」「東京市
町会
規約準則」などが整備されていった。,に一つの
町会
が結成されている状況であった。,この動きに合わせて、東京市は昭和一八年五月に「東京市
町会
規程」を定め、一
町会
あたり四〇〇世帯から六〇〇,世帯を基準としながら
町会
区域の整理統合や
町会
機構の編制などを進めた。
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(港区による活動支援)
港区による活動支援 港区による
町会
への活動支援は、財政支援が中心となっている。,また、平成一六年(二〇〇四)には「港区
町会
・自治会等掲示板設置等補助金交付要綱」「港区
町会
・自治会会館建設等補助金交付要綱,」が策定され、
町会
活動を広報するための掲示板を新たに設置する場合の経費の一部や、
町会
が保有する会館の建設,このほかにも、区役所と
町会
の交流事業として、
町会
長・自治会長・商店会長懇談会と
町会
・自治会連絡会の二つを,平成21年から
町会
等補助金の補助対象に防犯灯灯具交換を追加。
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(区議会への請願活動)
ではなく、周辺
町会
が連携しながら対応を求めている事例が多数見られる。,
町会
からの請願は基本的に区議会で採択される場合が多いが、この件に関しては
町会
によって賛成と反対が入り交,表5-2-3
町会
による請願活動一覧 各年度の「港区議会年報」から作成。,近年、請願というルートを通じて
町会
が意見を表明することが減少傾向にあると言える。,ただし、
町会
長という役職を前面に押し出させて区議会への請願を行う意義が弱くなってきた可能性や、
町会
内部
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(東京都内の動き)
東京都内の動き 東京都では、昭和二〇年(一九四五)九月から東京都次長を委員長とした東京都
町会
運営委員会,を設置し、今後の
町会
のあり方について議論を始めていた。,三五区内では空襲被害や疎開などの影響を受けて
町会
自体が消滅しているケースも少なくなく、
町会
をどこまで再生,しかし、前述のように昭和二二年一月の段階で
町会
の解散・廃止が決まったことにより、
町会
運営委員会における,議論は、
町会
の再生や性格をどうするかという点から、
町会
廃止後の地域行政をどのように維持していくかという
港区史 第4巻 通史編 近代 上
(近代編で用いられた新資料)
また、本区史編さんにあたり港区を通じて行った区内各
町会
の資料調査によって、新たに確認された資料が松坂
町会
資料,(同
町会
所蔵)である。,この資料では戦間期から戦時中にかけての
町会
の規約や事業の変遷を追うことができる(三・四章二節三項参照),近年区へ寄贈された本村
町会
資料(港区立郷土歴史館所蔵)も、重要な資料群である。,この資料には、近世と近代の接続の実態がわかる文書類および震災後、とくに戦時下の
町会
の帳簿が残されている
新修港区史
(隣組回覧板)
隣組回覧板 隣組が
町会
の下部組織として、防空・防火や物資配給の面で、戦時下の区民生活に重要な役割を演,この隣組と
町会
を一層緊密にし、市と
町会
、
町会
と市民の連絡のため、隣組回覧板の制度を設け、回覧板にはさみこむ
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(図版一覧)
の活動実態調査結果 表5-1-2 23区
町会
の活動実態調査結果 図5-2-1① 港区内の地区別
町会
, 港区内の地区別
町会
・自治会分布(赤坂・青山地区) 図5-2-1④ 港区内の地区別
町会
・自治会分布,と
町会
参加会員数の推移 図5-2-3① 地区別の
町会
参加会員数の推移 図5-2-3② 地区別の,総人口の推移 表5-2-1 港区による
町会
活動への財政支援 表5-2-2 港区
町会
の会計運営,表5-2-3
町会
による請願活動一覧 図5-3-3-1 ボランティア登録数の推移 図5-3-3
新修港区史
((三) 防災対策)
日吉坂
町会
防災対策委員会 赤坂一ッ木
町会
新三防災会 仲笄
町会
防災部 南青山一丁目
町会
地域住民防災組織,白高
町会
震災組織 一の橋ビル防災住民組織 青山外苑
町会
災害対策本部 六本木一丁目
町会
富士見町防災会,西麻布上
町会
白金三光第六
町会
防災会 白光
町会
防災会 南麻布一丁目東町
町会
北青山三丁目住宅自治会防災団,田町駅前市街地住宅防災会 芝新堀
町会
防災会 港南
町会
防災部 赤坂五、六丁目防災会 桜川
町会
防災部,車町西
町会
防災会 松坂
町会
住民防災組織 南麻布広尾防災会 二本榎
町会
防災会 白金第四
町会
防災会
港区史 第4巻 通史編 近代 上
(第三項 明治後期~大正初期の地域住民組織)
第三項 明治後期~大正初期の地域住民組織 一章二節でみたように、近世的な町がその機能を失ったのち、
町会
,大正・昭和期に「
町会
」「町内会」と組織されたもののなかには、その起源を明治期にまで遡るものもある。,同じく麻布区坂下町(現在の麻布十番二丁目)では、明治二二年七月、二二名の地主・差配人によって
町会
規約が,芝区では、衛生組合が治安維持を目的とする「自衛組合」という組織に移行し、それが関東大震災後の
町会
に連続,一章二節三項では、港区立郷土歴史館所蔵の「麻布本村
町会
資料」には、一八八〇年代以降の府や区からの布達(
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(東京市全域における町内会との比較にみる港区域の町内会)
港区域の町内会 次に戦間期の港区域における地域住民組織について、とくにこの時期に設立が相次ぐ町内会(
町会
,なお昭和二年に東京市内の一四三
町会
に対して実施されたサンプル調査では、町内に
町会
は存在するが衛生組合は,存在しない事例が一四三団体中一三二団体で、
町会
のなかに衛生組合を組み込んでいる事例が七団体、
町会
と別に
港区史 第3巻 通史編 近世 下
(町入用節減令と町入用書上)
このときの節減分の七割を原資の一部にして、江戸
町会
所(まちかいしょ)が設立されたことはよく知られている,これ以降、各町は毎年一定額を七分積金(しちぶつみきん)として負担するようになり、
町会
所は窮民救済や低利金融
新修港区史
((1) 三田救育所の設置)
このとき寛政三年老中松平定信による江戸の町費節約を契機に発足した社会救済事業の機関であった
町会
所の七分積金制度,収容者への食糧支給には
町会
所囲い籾が利用された。,
町会
所七分積金を市民の管理に任せ「共有金」として各種の事業に活用しようとする構想が府知事由利公正らにより,打ち出され、明治五年五月二十九日、
町会
所は廃止、大蔵省からの内諭により「営繕会議所」が新設され、同年九月
港区史 第3巻 通史編 近世 下
(「辻氏御用留」に見る名主の職務)
その内容は、刑事・民事の事件に関する訴訟・裁判、住民の転入(人別送(にんべつおくり))、
町会
所金の貸付願,近郷の放火・窃盗・博奕(とばく)などの取締・犯人逮捕)、鳥見方(とりみかた)(鷹場の巡視)、養生所、
町会
所,これらの多くは武士が担う領主側の役所であるが、
町会
所は勘定所御用達(かんじょうしょごようたし)の豪商が,などのように特定の職務を専管する役所も見られるが、名主は、町奉行所をはじめとするこれらの領主側の役所、および
町会
所
港区史 第4巻 通史編 近代 上
(協力者・協力機関(掲載史料所蔵機関および協力機関))
掲載史料所蔵機関および協力機関) 青山学院資料センター 赤坂氷川神社 麻布山善福寺 麻布本村
町会
,普連土学園中学校・高等学校 防衛省防衛研究所戦史研究センター 北海道大学大学文書館 本芝
町会
麻布区史
([目次])
546 一、烏居坂支部會所屬
町會
飯倉町一二六
町會
―飯倉町三四丁目
町會
,―飯倉五丁目
町會
―狸穴町々會―飯會片町仲ノ町々會―我善坊町々會―市兵衞町一二丁目
町會
―宮下町々會―新網町一丁目南部
町會
,―本村町々會―田島町々會―廣尾町々會―新廣尾町一丁目
町會
―新廣尾町二丁日
町會
―新廣尾町三丁目
町會
―富士見町々會,箪笥町々會―谷町西部
町會
―谷町東部
町會
―今井町々會―北日ヶ窪町々會―材木町々會―龍土町新龍土町々會―櫻田
町會
,―六本木町々會―霞町々會―三河臺町々會―笄町下笄
町會
―笄町仲笄
町會
―笄町新笄
町會
―笄町上笄
町會
―笄町山笄
町會
新修港区史
(出張所)
こうして、従来の町内会は三月末で姿を消し、新たに区役所連絡事務所が数
町会
単位で、従前の
町会
事務所を利用
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(昭和二〇年の建物疎開)
地域疎開は防衛局が行い、間引疎開は区長が警察署長、消防署長、
町会
長などを聴取して選定し防衛局長に申達して,、内務大臣が地区を指定し、
町会
が建物を除去した。
港区史 第7巻 通史編 現代 中
(第九章 安全・安心な港区を目指して)
当時の広報は、
町会
・自治会組織内に防火部がある場合、それをそのまま活用できると区民に呼び掛けている。,現在は、消防団に吸収されたケースが多いが、当時は
町会
・自治会組織が消防団とは別に、消防組織を保有している,ケースが全国的にまだ少なからずあったためである(現在でも港区ではほとんどの
町会
等に防災部がある)。,当時、港区では、
町会
・自治会が一つの母体となり、広報部・防災部・予防部・調達部を設置し、最末端の組織(,昭和五二年段階で、区内二二〇の
町会
・自治会のうち、三二の
町会
・自治会が防災住民組織を結成し、約一万五〇〇〇
新修港区史
(警防団)
分団は一万から三万人を標準に、一
町会
または数
町会
をもって一区域とするもので、警護部、灯火管制部、交通整理部
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(参考文献)
五 『町内会廃止と「新生活協同体の結成」』東京大学出版会 東京都総務局行政部区政課編 一九五六 『
町会
自治会等実態調査報告書,』 東京都
町会
連合会編 二〇〇四 『東京都
町会
連合会二十年史』 鳴海正泰 一九八二 『戦後自治体改革史,、山本英弘 二〇〇九 『現代日本の自治会・町内会』木鐸社 東京都総務局行政部区政課編 一九五六 『
町会
自治会等実態調査報告書,』 東京都
町会
連合会編 二〇〇四 『東京都
町会
連合会二十年史』 日高昭夫 二〇一八 『基礎的自治体,春風社 港区麻布地区総合支所協働推進課編 二〇一四 『「みんなと安全安心コミュニティプロジェクト」
町会
新修港区史
((1) 町奉行)
町会
所見廻。古銅吹所見廻。例繰方。風烈見廻。定橋掛。人足寄場掛。 ,猿屋
町会
所見廻。諸問屋組合再興掛。非常取締掛。外国掛。開港掛。御国益御仕法掛。諸色潤沢掛。
芝区誌
([目次])
村落時代 第四章 警備 第四章 租税 附録 第五章 消防 第五章 公議員 第六章 政令 第六章
町會
,585 第二節 市會議員 594 第三節 衆議院議員 603 第六章
町會
,611 第一節
町會
の起源 611 第二節
町會
の現状 613 第七章
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(図版一覧)
からみた町内会数(昭和8年) 表3-2-3-3 町内会の事務 表3-2-3-4 三田松坂
町会
,の会員数 表3-2-3-5 昭和2年における三田松坂
町会
の会員級別構成 表3-2-3-6 ,三田松坂
町会
の事業内容 表3-2-3-7 各年度収支決算からみる三田松坂
町会
の活動 表3-3, 昭和17年4月30日執行衆議院議員総選挙の得票見込みと実際の得票 表4-2-3-1 港区域の
町会
数,・隣組数と
町会
会員数 表4-2-3-2 三田松坂
町会
の事業内容 図4-3-1-1 東京市隣組回報
港区史 第6巻 通史編 現代 上
(区民参画組織の発足)
芝浦港南地区総合支所……「港区ベイエリア・パワーアッププロジェクト」 区民参画組織は、事業者や教育機関、
町会
図説 港区の歴史
(近代国家の成立と港区域)
江戸開城西郷南洲勝海舟会見之地(芝五丁目) 旧薩摩藩邸で江戸開城が話し合われたことにちなみ、昭和29年(1954)に本芝
町会
,が
町会
結成15年を記念して建立した。
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(協力者・協力機関(掲載史料所蔵機関および協力機関))
日本獣医生命科学大学 乃木神社 博物館 明治村 法政大学江戸東京研究センター 本村小学校 三田松坂
町会
新修港区史
(出張所の全廃と高輪支所の設置)
そして、三〇年代に入ると、区役所←→支所・出張所←→
町会
・自治会という地域行政の新たなパターンができ上
港区史 第7巻 通史編 現代 中
(第四項 危機管理・生活安全)
安全で安心して暮らせる社会に対する要望が強く、昼間人口の多い都心区ならではの防災や生活安全等において、
町会
,、「安全で安心なまち」を実現するため「都心の危機管理」を課題とした、犯罪に強いまちづくりへの取組や、
町会
港区史 第8巻 通史編 現代 下
(第二項 戦後復興と衛生事情)
昭和三二年度には芝地区愛宕四之部連合
町会
(虎ノ門、琴平町、栄町および西久保各町)と愛宕一丁目
町会
が厚生省,(当時)のねずみ総合駆除モデル地区に指定され、各
町会
員の協力によって事業の実施をみた。
港区史 第4巻 通史編 近代 上
([口絵])
頃) 口絵5 高輪築堤第7橋梁出土状況 口絵6 麻布本村
町会
資料
新修港区史
(海岸一~三丁目)
新町名は簡略を旨としたものであると同時に、すでに地元
町会
等において、「わが海岸
町会
は」というように、地名
港区史 第5巻 通史編 近代 下
(港区域における実態)
白金台町一丁目
町会
長の証明を受けた世帯員数を記載した二月六日付の「家族証明書」が添えられている。,そして二月一四日付で、移転先の
町会
長の証明を受けた「移転完了届」を芝区建物疎開事業部長宛に提出して手続
/ 2ページ