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港区/デジタル版 港区のあゆみ

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図説 港区の歴史 (海辺の埋立地)

埋立地の中でも海辺にあり、樹林や草地、人工砂浜や磯浜があり、第三台場には小さな池や湿地もあります。,第三台場の湿地や池にはアジアイトトンボやギンヤンマなどのトンボ類が多く、天敵である外来魚がいないために
図説 港区の歴史 (草地)

第三台場や東京海洋大学などでは、敷地の一部が草地になっています。
港区史 第6巻 通史編 現代 上 (31:港南(一〜五丁目))

幕末期の嘉永六年(一八五三)に海防上の要請から砲台地として築造された第三台場と第六台場が埋め立ての最初,昭和二年(一九二七)には第三台場を台場公園として公開、同九年には第二・五台場も東京市に払い下げられた。
図説 港区の歴史 (御台場の構築方法)

台場公園として一般公開されている第三台場の入口では、こうした石積みを見ることができます(図5-18-4,『品川御台場』(品川区立品川歴史館、2017年増補改訂版) 図5-18-4 第三台場東南隅の石垣積
図説 港区の歴史 (御台場の警備とその終焉)

図5-18-5は第三台場の平面図です。大砲を示す赤丸や三角の印が360度配置されています。
図説 港区の歴史 (御台場とは)

られている品川台場の名称は、大正15年(1926)10月20日付で国史跡に指定された時のもので、現存する第三台場
港区史 第3巻 通史編 近世 下 (台場掛宿舎の位置とその選定)

これは、第一、第二、第三台場を「一番白印御場所」・「二番青印御場所」・「三番赤印御場所」とし、それぞれに,そうした中で、普請開始当初、徒目付の永井脇太(第二台場担当)と畑藤三郎(第三台場担当)の宿舎として使用
港区史 第3巻 通史編 近世 下 (はじめに)

大正一五年(一九二六)一〇月二〇日に国指定史跡となった「品川台場」(第三台場・第六台場 現在の台場一丁目
港区史 自然編 (2)昆虫類とクモ類)

1次の港区生物現況調査(1988年度に実施)と比較可能な5か所(芝公園と有栖川宮記念公園、青山霊園、第三台場,その結果、第三台場で133種が130種と少し減少したものの、ほかの調査地点ではすべて増加していた。
港区史 第3巻 通史編 近世 下 (諸大名の警備配置)

この結果、内海台場には、川越藩(親藩、第一台場)、会津藩(同、第二台場)、忍(おし)藩(譜代、第三台場
港区史 自然編 (❖自然と文化財の保護・保存)

残された2基は大正15年(1926)に国史跡に指定され、うち第三台場は昭和3年(1928)7月7日に都市公園
港区史 自然編 (1)低地の地形)

現在、台場公園の第三台場と東京湾の第六台場が残されている(写真1-ⅳ-2)。
新修港区史 (港南一~五丁目)

一四番は第三台場、一三番は第六台場であって、一四番と同月に第一・二台場、一三番と同月に第五台場も完成しており
港区史 第6巻 通史編 現代 上 (4コラム 港区の面積の推移)

港区は、周辺の海域は古くから港区の区域であり、港南五丁目だった第三台場から地続きなので、当然港区に帰属
港区史 第7巻 通史編 現代 中 (芝浦港南地区)

お台場地域では、第三台場および第六台場など歴史的景観資源とランドマークであるレインボーブリッジ、現代的
港区史 上 ([目次])

      鎖国の夢とペリーの来航―江戸湾警備と芝高輪―品川台場構築と江川太郎左衛門―台場構築と第二第三台場
図説 港区の歴史 (図版一覧)

5-18-2  品川台場築造位置推定図 図5-18-3  品川台場構造模式図 図5-18-4  第三台場東南隅
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