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港区/デジタル版 港区のあゆみ

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港区史 第4巻 通史編 近代 上 (近衛歩兵第三連隊)

近衛歩兵第三連隊 港区域にはもう一つの「麻布三連隊」が駐屯していた。,それは、「近歩三」の略称で知られた近衛歩兵第三連隊である(図1-7-4-2)。,によって第一旅団を、第三連隊・第四連隊によって第二旅団を編制することと定められ、明治一八年七月、新たに近衛歩兵第三連隊,ここは、元は広島藩中屋敷のあった場所で、軍事刑務所である衛戍監獄が設置されていたが、監獄を移転して近衛歩兵第三連隊,  図1-7-4-2 近衛歩兵第三連隊の営門(明治40年〈1907〉) 田山録弥『東京写真帖 / 近衛歩兵第三連隊
図説 港区の歴史 (軍事施設が溢(あふ)れる港区)

赤坂区赤坂一ツ木町「兵営」1、人員(同前)1,837人は近衛歩兵第三連隊、赤坂檜町「兵営」1、人員(同前,近衛歩兵第三連隊(図6-10-4)での自身の兵営生活を描いたものに伊波南哲(いばなんてつ)(沖縄県出身,この本では、沖縄からはるばる上京し近衛歩兵第三連隊へ入営した著者が、2年間の兵営生活を終えて、めでたく,図6-10-4 近衛歩兵第三連隊の兵営(上)と赤坂一ツ木通り(下) 『新撰東京名所図会 第37編・臨時増刊風俗画報第
図説 港区の歴史 (第10節 軍都)

青山南町、現在の南青山一丁目)、麻布連隊区司令部(同)、歩兵第一連隊(赤坂檜町、現在の赤坂九丁目)、近衛歩兵第三連隊
港区史 第1巻 通史編 原始・古代・中世 (今井城)

今井城 現在の赤坂五丁目、戦前に近衛歩兵第三連隊の兵営が設置されていた赤坂氷川神社の西北側の台地で、
港区史 第7巻 通史編 現代 中 (旧軍施設等の接収とまちづくり)

一方で、近衛歩兵第三連隊跡地(赤坂五丁目)や第一師団司令部(南青山一丁目)は都営の共同住宅が建てられるなど
港区史 第7巻 通史編 現代 中 (大規模開発の始まり―接収解除と再開発)

近衛歩兵第三連隊跡地(赤坂五丁目)は都営の共同住宅として使用されたのち、現在はTBS本社などが所在している,建物延 坪数(坪) 赤坂檜町3-1 31,959 旧近衛歩兵第三連隊
新修港区史 ((2) 広大な軍用地)

一九二 一、五九一 二、五〇〇 八四、七七〇 一五四 一二、三七〇 近衛歩兵第三連隊
図説 港区の歴史 (連隊の動向と軍事施設の戦後)

近衛歩兵第三連隊と第四連隊は昭和15年(1940)6月動員下令、中国・漢口作戦などに参加、昭和16年7
新修港区史 ((1) 兵営)

○近衛歩兵第三連隊(赤坂一ツ木町)。明治十八年七月の創設。
港区史 第5巻 通史編 近代 下 (二・二六事件)

決起に参加したのは、歩兵第一連隊および歩兵第三連隊、近衛歩兵第三連隊、野戦重砲兵第七連隊であり、総数で,将兵の多くが駐屯した料亭「幸楽」も日枝神社の南側、いわゆる赤坂山王下にあり、歩兵第一連隊や第三連隊、近衛歩兵第三連隊
港区史 第4巻 通史編 近代 上 (赤坂の変化――武家地から皇宮地、軍用地へ)

長州藩毛利家下屋敷・清水園跡に歩兵第一連隊(現在の東京ミッドタウン)、赤坂一ツ木町の広島藩浅野家上屋敷跡の近衛歩兵第三連隊
港区史 第5巻 通史編 近代 下 (戦間期の港区の治安状況)

第一師団の満州派遣決定を契機として、同師団の歩兵第一連隊(赤坂檜町)、第三連隊(麻布新龍土町)および近衛歩兵第三連隊
港区史 第4巻 通史編 近代 上 (図版一覧)

-3-1  西南戦役略図  図1-7-4-1  陸軍大学校(明治40年)  図1-7-4-2  近衛歩兵第三連隊
港区史 第4巻 通史編 近代 上 (近代における土地柄の淵源)

広い敷地を必要とする軍事施設も多く所在し、いずれも赤坂区内に陸軍歩兵第一連隊や近衛歩兵第三連隊、青山練兵場
図説 港区の歴史 (図版一覧)

一万分一東京図』 明治42年測図 大正10年第二回修正測図 大正14年部分修正(部分) 図6-10-4  近衛歩兵第三連隊
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