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港区/デジタル版 港区のあゆみ

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新修港区史 ((28) 青山墓地内貝塚)

(28) 青山墓地内貝塚 【青山墓地内貝塚】 古くから青山墓地内貝塚の名で著名である。 / (28) 青山墓地内貝塚
新修港区史 ((29) 南青山二丁目(青山墓地))

(29) 南青山二丁目(青山墓地) 故鳥居龍蔵氏の論文によると、南青山一丁目に近いところで打製石斧が,右に述べた青山墓地内貝塚の東縁に当たるかと思われるが、その後の報告なども見当たらず湮滅(いんめつ)したものと / (29) 南青山二丁目(青山墓地)
新修港区史 ((30) 南青山三丁目(青山墓地))

(30) 南青山三丁目(青山墓地) 同じく旧青山南町三丁目で「龍土町に面する丘」というから青山墓地の / (30) 南青山三丁目(青山墓地)
新修港区史 ((4) 青山墓地内)

(4) 青山墓地内 竹田輝雄氏による報告があって、長頸壼形土器の好資料が発見されたことが知られ、前述 / (4) 青山墓地内
新修港区史 ((14) 西麻布一丁目付近(旧麻布霞町・青山墓地に面する丘))

(14) 西麻布一丁目付近(旧麻布霞町・青山墓地に面する丘) ここでも打製石斧の出土をみたといわれているものの / (14) 西麻布一丁目付近(旧麻布霞町・青山墓地に面する丘)
港区史 第1巻 通史編 原始・古代・中世 (中期の遺跡)

No.75)、亀塚公園遺跡(No.56)、石見津和野藩亀井家屋敷跡遺跡(No.156)の四か所の他、青山墓地
新修港区史 ((16) 西麻布一丁目・三丁目(旧麻布霞町))

)~(16)と四例の報告が残されていることから考えると、こんにちの西麻布交差点の周辺一帯の地、とくに青山墓地
港区史 第1巻 通史編 原始・古代・中世 (中期の遺跡)

他に、青山墓地内貝塚(No.1)、東宮御所内遺跡、陸奥八戸藩南部家屋敷跡下層遺跡、三田台町・三田台裏町
港区史 第1巻 通史編 原始・古代・中世 (むらの展開)

また、青山墓地でも中期中葉の壺形土器が出土したことが報告されている(図4-2-2-1)。,青山墓地では今も弥生土器の散布が確認できる(港区No.2遺跡)。,図4-2-2-1 青山墓地出土の中期後葉の壺形土器    高輪台地では、亀塚公園、三田台公園から伊皿子
港区史 第4巻 通史編 近代 上 (青山霊園)

これに伴い、青山の神葬祭地は青山墓地となり、仏式・神式を問わず埋葬が可能な公共墓地となった(小林 一八七三,明治二二年の市制・町村制施行に伴って、青山墓地の管理は東京府から東京市に移管された。
新修港区史 ((1) 哺乳類と鳥類)

また、昭和初期までノウサギが青山墓地や神宮外苑をはじめ、麻布一連隊の敷地内や麻布十番で捕えられたりしていたのに,続いてイタチも、かつての港区内では、至るところで見られたのに、戦時中に青山墓地で捕えられたのが最後になったようである
図説 港区の歴史 (生者の住まいから死者の住まいへ)

青山墓地は明治7年(1874)9月1日に開設されました(図6-3-4)。,先の青山墓地とはいささか経緯は異なるかもしれませんが、居住地が埋葬地として利用された一例です。
港区史 第1巻 通史編 原始・古代・中世 (大場磐雄と江坂輝彌の活動)

は、長年の調査を基に、大正末年に執筆した縄文時代前期後半の「諸磯(もろいそ)式土器の研究」の中で、「青山墓地内貝塚
港区史 第1巻 通史編 原始・古代・中世 (港区域の貝塚)

他の八か所については詳細は不明で、今でも土器片の散布がみられる青山墓地内貝塚を除くと多くは現存しないと
港区史 第5巻 通史編 近代 下 (そのほかの「聖蹟」および史蹟)

横川省三記念公園、『赤坂区史』では演技座(赤坂二丁目)、黒田侯爵邸(赤坂二丁目)、勝海舟邸跡(赤坂六丁目)、青山墓地
港区史 第5巻 通史編 近代 下 (昭和一四年東京市長視察からみる芝、赤坂、麻布区行政)

赤坂区視察では、赤坂小学校、青南小学校への視察ののち、区役所での懇談会で、区域拡張や東京市が所管する青山墓地収入
新修港区史 ((2) 爬虫類、両棲類、魚類)

パトロールカーの出動を仰ぐ結果となって、その数も激減してしまったので、港区内で比較的多く生息している自然教育園や青山墓地
新修港区史 ((3) 道路の改良)

道路試験所は震災後移転、芝区新芝町に新築された)、大正十四年十二月に東京市内最初の簡易舗装が赤坂区の青山墓地通
図説 港区の歴史 (近代国家の成立と港区域)

また、青山の郡上藩邸一帯は青山墓地として、埋葬地となって現在も続いています。
新修港区史 (クリエーターの街――赤坂、青山・六本木)

街にはのぼり、旗、奉公袋その他軍隊関係のものを売る店と青山墓地をとりまく石屋が点在して、晴れた日には馬糞,一〇人が葬られているのをはじめ、数多くの文人、軍人、実業家、芸能人、科学者などのいわゆる著名人が眠る青山墓地
赤坂区史 ([目次])

 1248     三、高橋翁記念公園  1248   第三節 墓    地       一、靑山墓地,    井部香山の墓、雷電爲右衞門の墓  1273     舊 乃 木 邸  1274     靑山墓地
港区史 第7巻 通史編 現代 中 (赤坂・青山・六本木・三田周辺)

景観と環境については、青山墓地、赤坂御用地をはじめとして、大規模な緑地が多く地形的にも台地と低地に分かれ
港区史 第1巻 通史編 原始・古代・中世 (図版一覧)

図3-コラム2-2 クロダイの鱗 図4-2-1-1 伝芝公園出土の弥生土器 図4-2-2-1 青山墓地出土
新修港区史 ((2) 市区改正事業――改良水道と築港計画)

芝新網町、湊町の金杉川沿岸に芝魚鳥市場、芝区白金村今里玉縄の内に白金獣畜市場と屠場の新設が行なわれ、青山墓地
図説 港区の歴史 (地域特性の成立)

大名青山家の屋敷は明治5年(1872)に共葬墓地となり現在の青山墓地へとつながっていきます。
港区史 自然編 (ⅲ 武蔵野台地の地形区分)

上流の宇田川や新宿御苑の谷だけでなく、ほかにも青山墓地の両側の谷(笄川)など支流の谷がたくさんあり、その
新修港区史 (南青山一~七丁目)

【青山墓地内遺跡】 青山霊園では、縄文時代早・中・後期の土器のほか弥生式土器も発見された。
港区史 第1巻 通史編 原始・古代・中世 (参考文献)

鈴木公雄 一九八九 『貝塚の考古学』UP考古学選書5、東京大学出版会 髙山優・岡本康則 二〇一四 「青山墓地採集,〇〇〇 「植物珪酸体(プラント・オパール)」『考古学と植物学』同成社 髙山優・岡本康則 二〇一四 「青山墓地採集,港区善福寺寺域遺跡」『東京都遺跡調査研究発表会21発表要旨』東京都教育委員会 竹田輝雄 一九五八 「東京青山墓地発見
港区史 上 ([目次])

 296     付 四 神社・寺院・主要墓・諸教会  303     神社―寺院(主要墓)―青山墓地
新修港区史 (新修港区史 目次)

旧麻布桜田町鈴木氏邸内    西麻布交差点(もと霞町電車交差点)    西麻布一丁目付近(旧麻布霞町・青山墓地,   元麻布三丁目付近(旧麻布宮村町付近)    一ツ木貝塚(赤坂五丁目・旧赤坂檜町)    青山墓地内貝塚,   南青山二丁目(青山墓地)    南青山三丁目(青山墓地)    南青山三・四丁目(南青山三丁目四,芝公園四丁目    元麻布三丁目付近(旧麻布宮村町付近・仙台山)    三田四丁目亀塚公園    青山墓地内
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