旗本・御家人の勤役(きんやく)は、本来家禄の給付に対する義務で、原則は家禄のみで勤めるものであった。しかし家禄のみでは勤役の必要経費が賄えない場合もあり、これについては幕府が役職ごとに定まった役料を支給したり、役職ごとに家禄の基準高を設けて、それに達しない者に限り一定の役料を支給したりした。そして享保八年(一七二三)からは足高(たしだか)の制により、役職ごとに設けられた家禄の基準高に達しない者が就任する場合、その在職中に限り基準高と就任者の家禄の差額が米で補填されることになった。
幕府の職種には、将軍警固や江戸城警備などに関わる番方(ばんかた)と、行政・財政・司法などの事務に関わる役方(やくかた)があった。特に番方は武家本来の務めとされて、はじめてその職に就くことを「御番入(ごばんいり)」といい、名誉なこととされた。また家禄や家筋などにより、就任する役職はおおむね決まっていた。
役職に就いていない旗本・御家人も多かったが、無役でも家禄が減じられることはなかった。無役の場合は、家禄三〇〇〇石以上は寄合(よりあい)、三〇〇〇石未満は小普請組(こぶしんぐみ)に編入されて、寄合金や小普請金という負担金を家禄に応じて幕府に納めることで勤役の代わりとされた。 (渋谷葉子)