江戸城下の旗本・御家人屋敷

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 図2-2-2-1「旗本・御家人屋敷の分布」は、幕末の江戸城下(朱引内、朱引内については一章一節一項「江戸の範囲と港区域」参照)の旗本・御家人屋敷(組屋敷を除く)の分布状況を示したものである。おおむね江戸城の北側から西側にかけて集中し、西側から南側は散在する程度で、東側にはほとんどないが、隅田川東岸については密度が高い、というもようが看取される。

図2-2-2-1 旗本・御家人屋敷の分布
波多野純『城郭・侍屋敷古図集成 江戸城Ⅱ(侍屋敷)』(至文堂、1996)、挿図2-11「幕末の旗本御家人の屋敷の分布」を転載 一部加筆


 さらに『新修港区史』の表6「文政十年旗本居住地」に依拠して作成した表2-2-2-1「旗本屋敷の分布」は、文政一〇年(一八二七)頃の家禄五〇〇石以上の旗本一六七一人について、屋敷の所在地ごとに石高別の人数とその割合を整理して、人数の多い地域順に並べたものである。

表2-2-2-1 旗本屋敷の分布


『新修港区史』(1979)、表6「文政十年旗本居住地」をもとに作成、なお「計」の数値の錯誤は訂正し、「石高」の表記方法を変更のうえ、新たに「区分」と「総計」の項目を設けた
数字は上段が旗本人数、下段( )内が各地域の旗本人数に占める各石高人数の割合
No.のうち丸番号は現港区および現港区を含む地域
区分はA…江戸城北側~西側、B…江戸城南側~東側、C…墨東、なおNo.29・30は500石以上の旗本人数が0なので区分から除外
 表2-2-2-1のうち、駿河台・小川町(No.1)、番町(No.2)、市谷・牛込(No.4)、小日向(No.5)、本郷・湯島(No.8)、小石川(No.9)、四谷(No.10)は、図2-2-2-1で旗本・御家人屋敷の集中が見られるところに合致する。これは元来江戸城下の武家屋敷配置が、江戸城の東側から南側が主に大名屋敷地、西側から北側が主に旗本・御家人屋敷地とされたことに由来したものである。隅田川東岸の本所(No.3)・深川(No.19)は一七世紀半ば以降に新たに開発され、旗本・御家人屋敷とともに大名屋敷も設けられた地域である。
 石高別の割合に注目して、寄合(家禄三〇〇〇石以上の旗本)の人数割合の平均でみると、江戸城西側から北側の地域(表2-2-2-1の「区分」欄のA)に屋敷を所持する旗本は約八・六パーセント、江戸城東側から南側の地域(同B)に屋敷を所持する旗本は約三二・四パーセント、隅田川東岸(同C)に屋敷を所持する旗本は一四・〇パーセントとなっている。つまり大名屋敷が多い範囲に屋敷を持つ旗本は大身(たいしん)の者が多い、という傾向を読み取ることができる。