港区域の旗本屋敷

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 現代の港区は江戸城の南側から西側にわたるところで、したがっておおむね大名屋敷が多い範囲にあたるが、図2-2-2-1によれば芝・愛宕下(⑥)、麻布(⑪)、赤坂(⑫)、青山・渋谷(⑯)のあたりに旗本・御家人屋敷が多少まとまってあるもようが見て取れる。
 表2-2-2-1により港区内の地域ごとに見ると、芝・愛宕下(No.⑥)は本章三節二項「〔芝口〕の旗本・御家人屋敷地」、本章五節二項「発掘された旗本・御家人屋敷」で取り上げる家禄八〇〇〇石の交代寄合本堂(ほんどう)家を筆頭に、寄合以上が二一・九パーセントおり、一方五〇〇石以上一〇〇〇石未満は二四・四パーセントと少ない。麻布(No.⑪)は高六五〇〇石の曽我家を筆頭に、本章五節二項「発掘された旗本・御家人屋敷」でも言及する、家禄五〇〇〇石の花房(はなぶさ)家を含む寄合以上が二二・一パーセントで芝・愛宕下とほぼ同等だが、五〇〇石以上一〇〇〇石未満が三四・〇パーセントとやや多い。赤坂(No.⑫)は旗本のうちで最高石高九五〇〇石を持つ横田家がいるものの、寄合以上が一四・四パーセントと港区内では少なめな一方、五〇〇石以上一〇〇〇石未満が五〇・〇パーセントと多い。青山・渋谷(No.⑯)は寄合以上が二一・〇パーセントと港区内の平均的数値だが、五〇〇石以上一〇〇〇石未満が四一・七パーセントと多い。芝・高輪(No.⑱)、目黒・白金(No.㉓)は図2-2-2-1の範囲に入らない郊外で、五〇〇石以上の旗本人数自体が全体の一・〇パーセントと〇・五パーセントと少なくなっている。
 以上から、港区域の旗本屋敷は全体的に大身層が多いが、江戸城南側の大名屋敷が多い範囲から西側の旗本・御家人屋敷の多い範囲へと、また江戸城近くから遠くへと、家禄の低い者が増えていく傾向があったということが見出される。