港区域の御家人屋敷

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 また本章二節三項「組屋敷」で述べるように、御家人は職務上の組に属する者がその七割以上におよび、これらは各組に与えられた組屋敷(または大縄地)のなかに屋敷地を与えられた。したがって、御家人屋敷については組屋敷の分布も見ておく必要がある。
図2-2-2-2「組屋敷の分布」は、幕末の江戸城下(朱引内)の組屋敷の分布状況を示したものである。この図から、組屋敷は江戸城外堀の内側には設けられておらず、おおむね外堀外の北側から西側に、図2-2-2-1の旗本・御家人屋敷の外縁の隙間を埋めるようにあったもようが見て取れる。
 港区域の組屋敷は、図2-2-2-2によれば芝・愛宕下(⑥周辺)にはまったくなく、麻布・赤坂・青山(⑪・⑫・⑯周辺)に散在する程度だが、西側へと、そして外縁部へとその数は増えていき、個々の規模も大きくなっていくもようが見て取れる。これは本項「港区域の旗本屋敷」で述べた家禄五〇〇石以上の旗本屋敷の分布傾向、すなわち江戸城西側へ、さらに外縁へと家禄の低い者が増えていく傾向に合致しており、微禄の御家人たちの屋敷を擁する組屋敷もそれと同様の傾向を呈したことが読み取れる。  (渋谷葉子)

図2-2-2-2 組屋敷の分布
波多野純『城郭・侍屋敷古図集成 江戸城Ⅱ(侍屋敷)』(至文堂、1996)、挿図2-23「幕末の組屋敷(大縄屋敷地)の分布」を転載 一部加筆