組屋敷

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 拝領屋敷にはまた、組屋敷(くみやしき)(または大縄屋敷(おおなわやしき)・大縄地(おおなわち))と呼ばれる、職務により編成された先手組(さきてぐみ)・百人組(ひゃくにんぐみ)などといった諸組が組ごとに一括で拝領した屋敷地があった。このため、それらは江戸時代に刊行された切絵図(きりえず)などには一筆の屋敷地のように描かれていることがほとんどだが、実際には内部が配下の者たち個々に割り振られていた。
 例えば図2-2-3-1「青山百人組屋敷図」は、現在の南青山三・四丁目あたりにあった鉄炮百人組の与力・同心に与えられていた組屋敷を描いた絵図である。これによれば、内部には道が設定されて、それに沿って間口が狭く奥行きの深い屋敷地が連なっている様子が見て取れる。組屋敷は、内部がこのような短冊状に敷地割りされていることが一般的であった。

図2-2-3-1 「青山百人組屋敷図」
国立国会図書館デジタルコレクションから転載


 御家人の大多数は、職務によって編成された組の配下にある者だった。その数は正徳二年(一七一二)には約一万二八〇〇人だったと言われる。したがって、全御家人数の約七一~七五パーセントは組屋敷の中に屋敷地を拝領したことになる。配下の者個々へ割り当てられる広さは、組屋敷の場所や役職等によって異なったが、一般には二〇〇~七〇坪程度であった。