居住の実態

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 安政三年(一八五六)頃の大名・幕臣の所持屋敷の種別・場所・坪数等を幕府普請方屋敷改が書き上げた「諸向地面取調書」(国立公文書館内閣文庫所蔵)によれば、小普請組(家禄三〇〇〇石未満の無役の旗本・御家人)二九六一人のうち一九九五人(六七・四パーセント)は自らの拝領屋敷の全部か一部を他者に貸与しており、さらにうち一三五八人(全体の四五・九パーセント)が他家に借地住宅か同居であった。幕臣には拝領屋敷を所持するも、住んでいない者がたいへん多くおり、そのなかには売却してしまったため住むことができない者も、特に下級の幕臣には多数あったものと見られている(宮崎 一九九二)。
 拝領屋敷を居屋敷としない場合は、地守(ちもり)と呼ばれる管理人を置く決まりとなっていた。「諸向地面取調書」には「地守附置(つけおき)」と記された旗本・御家人の拝領屋敷が、前述の小普請組以外にも多くみられ、つまり自らの拝領屋敷がありながらそれを居屋敷としなかった旗本・御家人が、幕末には全体的に多くなっていたということである。