「地守附置」の実相

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 例えば、後述する旗本花房縫殿助(ぬいのすけ)のように(本章二節四項「居住者」参照)、困窮などの理由で拝領屋敷地に建物がなかったり、建てられなかったりした場合には他者の屋敷に居住せざるを得ず、拝領屋敷は「地守附置」となった。また前述のように相対替を装って拝領屋敷を売却した場合、それで得たことになっている屋敷地は、名目上の所持者とともに「地守附置」として届け出られた。
 以上のように、事情があって拝領屋敷に住めず「地守附置」とせざるを得ない者がいた一方、住まないことを選択して、自らの拝領屋敷を「地守附置」とした者もあった。例えば拝領屋敷が郊外にある者の中には、江戸城への勤仕や生活の利便性を求めて、市中の武家屋敷に借地や同居し、その場合、拝領屋敷は「地守附置」となった。さらに後述する旗本林伊太郎のように、市中の愛宕下の拝領屋敷を「地守附置」として、郊外の麻布今井谷に抱屋敷を手に入れて居屋敷とした事例もある。林は鶴梁(かくりょう)と号した著名な文人でもあり、自らの創作活動のため風光明媚な土地に暮らすことを選んだ(本章三節三項「林伊太郎屋敷」参照)。このように旗本・御家人たちが自らの拝領屋敷を「地守附置」とした理由には、様々な場合があったのである。 (渋谷葉子)