庭園は武家屋敷の重要な構成要素であった。三嶋家の場合、奥客間および政明書斎と、祖母の居間、それぞれに坪庭が付属しており、その南側にも広めの庭園がある。いずれも池を擁しているが、一般的に武家屋敷の庭園は池を中心とした造りとなっている。例えば旗本花房家の麻布六本木屋敷には、大きな池の周囲に園路を敷設した、池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)といわれる庭園があったことが発掘調査によって明らかとなっている(本章五節二項「上級旗本の庭園空間・旗本花房家屋敷跡」参照)。
その他の主な施設としては、中長屋西の一画に厩(うまや)があり、青毛馬(あおげうま)を所有していた。敷地北側中央西寄りに井戸があるが、絵図を見る限りは一基である。北東角の稲荷社は毎年二月の初午(はつうま)日が祭礼で、絵図の書き込みによれば、屋敷内に囃子(はやし)の屋台(野台)を設けて地口行燈(じぐちあんどん)(しゃれことばに戯画を添えて描いた行燈)を掛けるなど盛大だったようすである。その西に薪炭置場があり、このほか一般的には土蔵や物置があることが多いが、三嶋家の場合は家宝等を政養の実家、旗本夏目家の土蔵に預けていたという。また絵図には現れないが、武家屋敷の地中には穴蔵(あなぐら)や地下室(ちかむろ)といわれる施設もあり、発掘調査では遺構として多く見ることができる(本章五節二項「上級旗本の庭園空間・旗本花房家屋敷跡」参照)。