この当時の区行政の内実を、いくつかの角度から検討してみよう。表3―2―1―1は、大正九年(一九二〇)から昭和五年(一九三〇)の赤坂区役所の歳出費目をまとめた表である。この表からは歳出の過半が、区の財産である小学校の運営費であることがわかる。なお、とくに支出が多い大正一五年(昭和元・一九二六)には、青山尋常小学校の増改築が、昭和五年には氷川尋常小学校の新敷地での建設が竣工していた。以上の歳出費目からは、当時の区の財政支出の大部分が学校運営費であり、それ以外の事業を行う余地はほとんどなかったことがうかがえる。
次に区役所の掛ごとの事務分掌から当時の区行政を検討する。先に述べたとおり、区行政を担う区長、区吏員は東京市の吏員であったが、区役所も東京市の組織であり、掛構成や事務分掌は東京市の訓令である「区役所処務規程」に基づいて、いずれの区役所も共通であった。表3―2―1―2は、大正一五年の芝区役所の事務分掌を整理したものである。庶務、戸籍、衛生道路、税務、会計の五つの掛の主な事務分掌によれば、区の業務は、区会や区費予算区有財産に関するもののほか、選挙、学事、徴兵業務等を含む兵事、統計(庶務掛)、戸籍事務(戸籍掛)、伝染病予防や道路等管理(衛生道路掛)、諸税金の賦課関係業務(税務掛)、収入・支出に関する事務(会計掛)など多岐にわたった。また五つの掛のうち配置されている吏員が多いのは、区の運営業務のほか兵事や統計などの委任事務を含む庶務掛、同じく税金の賦課徴収などの委任事務を扱う税務掛で、この二つの掛で区役所の吏員全体の六割を占めていることがわかり、区行政における業務の比重がうかがえる。こうした区役所の構成は、その後一九三〇年代にかけ東京市行政の拡大に応じて変化するが、この点は四章二節一項で詳しく検討する。 (中村 元)
表3―2―1―1 大正9年(1920)から昭和5年(1930)の赤坂区役所の歳出費目(単位:円)
『赤坂区史』(1941)をもとに作成
表3―2―1―2 大正15年(1926)の芝区役所の事務分掌
芝区編『芝区勢便覧』(1926)をもとに作成