衆議院議員総選挙にみる戦間期の港区域と政治

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 次に戦間期の港区域の人々と政治との関わりについてみてみよう。まず当該期における地域の人々の政治との関わりのおおよその動向を把握するため、当該期の衆議院議員総選挙の結果から検討する。表3―2―2―1は、大正九年(一九二〇)の第一四回衆議院議員総選挙から昭和七年(一九三二)の第一八回衆議院議員総選挙までの結果をまとめたものである。なお大正八年(一九一九)の衆議院議員選挙法改正で、従来直接国税一〇円以上納める者と規定されていた有権者資格は三円以上に引き下げられ、選挙区制は大選挙区制から小選挙区制へと変更された。大正九年、大正一三年の総選挙では、この制度のもと、麻布区・赤坂区が東京第二区、芝区が単独で東京第三区となっていた。その後、さらに大正一四年に同法が改正され、有権者の納税資格は廃され、男子普通選挙制が実現するとともに、選挙区制は中選挙区へと変更され、麴町区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区が東京一区となった。
 大正九・一三年の総選挙では、麻布区・赤坂区では二名以上の候補者が立候補し、得票数も一定程度分散していることがわかる。他方で芝区では候補者は二名で、いずれも憲政会の横山勝太郎が大きな差を付けて当選している。一九二〇年代に入ると、各区ごとに設けられ選挙に際して機能した有権者の団体である公民団体の力が弱まり、地域の政治勢力が次第に政友会、憲政会(民政党)の二大政党に系列化されていくことが知られている(櫻井 二〇〇三)。この点を念頭に置くと、大正九・一三年の総選挙では麻布区・赤坂区では二大政党への系列化は緩やかである一方、芝区では憲政会の影響力が強く及んでいることがうかがえる。
 次に昭和三年(一九二八)の選挙結果をみてみよう。この総選挙では、男子普通選挙制導入により有権者数が各区で約三倍程度に増加している。まず選挙区全体をみると、定員五名のうち四名について、昭和二年に憲政会と政友本党が合併し結成された民政党が四名を占め、民政党優位の選挙区であることがわかる。続いて各区ごとにみると、芝区、麻布区、赤坂区とも民政党の得票数が多いが、区ごとに得票数の多い候補者は異なり、芝区では、大正九・一三年の総選挙以来の横山勝太郎への支持が圧倒的に大きく、麻布区では櫻内辰郎、赤坂区では瀬川光行と各区を地盤とする候補者が多数の票を得ていることがわかる。その後昭和五年以降の総選挙では、各区で政友会系の候補者も得票上位に入り込むことになり、民政党系の優位が次第に変化していくことがみてとれる。またこの選挙区では、無産政党も一定の得票数を得ていることも注目される。
 

表3―2―2―1 衆議院議員総選挙の結果