財政(一般会計)の変遷

HISTORY OF THE FINANCE OF MINATO CITY

昭和22年度(1947)~昭和59年度(1984)

昭和22年度(1947)~昭和59年度(1984)

昭和22年(1947)3月芝区、麻布区、赤坂区の3区統合により港区が誕生しました。同年5月の地方自治法施行によって特別区となり、市並みの権限が与えられたにもかかわらず、地方税法では都の権限下におかれ、財政上自主性を確立できない状況下でした。
戦後の経済復興、特に昭和30年(1955)の「神武景気」から始まる高度経済成長に伴い、歳入・歳出ともに増加しました。特に、昭和35年度(1960)以降は大幅な伸びを見せています。
昭和48年(1973)のオイルショックをきっかけとする高度経済成長の終焉により、不況と不況からの回復を繰り返す安定成長期に入ります。港区も例外ではなく、昭和50年度(1975)の歳入は前年度を2割下回る減収となりました。昭和52年度(1977)になってようやく昭和49年度(1974)の水準を超えるまでに回復し、以降国内の景気低迷とは裏腹に、非常な勢いで財政規模が拡大していきます。

昭和60年度(1985)~平成30年度(2018)

昭和60年度(1985)~平成30年度(2018)

昭和61年(1986)に始まるバブル経済期においては、地価高騰を背景に、人口減少が続く中、平成3年度(1991)の財政規模は、歳入歳出とも昭和62年度(1987)の約1.4倍となるなど一段と拡大が進みました。しかし、バブル経済崩壊後の長引く景気の低迷等による影響から、区の財政は、平成8年度(1996)には主な歳入である特別区民税収入が平成3年度(1991)のピーク時に比べ、3分の2にまで落ち込むという非常に厳しい状況に直面しました。このため平成9年度(1997)から3年間で約100億円の経常的経費を削減した行財政改革を断行した結果、未曽有の危機を乗り越えることができました。
その後も、人口増に伴う特別区民税収入の増加にもかかわらず長引く景気低迷の影響を受け減収になるなど予断を許さない時期もありました。そうした中にあっても、人件費の圧縮や経常経費の節減など内部努力を徹底するなど、盤石な財政基盤の確立に向けて取り組み、健全な財政運営を一貫して行っています。