みなと 記憶の風景
~区民のインタビュー映像~
赤坂周辺
塚本 悦吉さん
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風景 赤坂
昭和20年(1945年)、東京大空襲。赤坂の町を夜中じゅう逃げまどった中学生の塚本さん。あくる朝見たのは、遠く新橋駅まで続く焼け野原でした。昭和11年(1936年)の二・二六事件のご記憶、昭和20年5月の空襲、戦後の苦しい生活と復興、オリンピックと青山通りのことなど、たくさんの思い出をうかがいました。
撮影日:平成31年(2019)4月4日
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■塚本 悦吉さんのプロフィール
昭和 6年(1931)塚本悦吉さん誕生
昭和12年(1937)東京市赤坂尋常小学校に入学
昭和18年(1943)東洋中学校に入学
昭和24年(1949)早稲田大学に入学
昭和28年(1953)ライオン油脂株式会社に入社
平成 元年(1989)ライオンパッケージング株式会社(子会社)社長として出向。本社役員
平成15年(2003)赤坂新三町会 会長に就任(平成27年退任)
平成18年(2006)赤坂青山町会連合会 会計に就任、以後役職を歴任し現在に至る
■赤坂:インタビューメニュー
生い立ちの風景(1:05)→二・二六事件の風景(3:50)→国道246号線周辺の風景(7:12)
→赤坂氷川祭の風景(7:58)→赤坂小学校の風景(8:43)→戦争の風景(11:36)
→空襲の風景(14:25)→終戦の風景(17:14)→戦後の風景(18:37)→都電の風景(19:42)
→一ツ木通の風景(21:42)→赤坂駅周辺の風景(22:37)→仕事の風景(24:15)
→赤坂復興の風景(25:18)→赤坂の好きな風景(26:04)
■撮影コース
青山通り(00:00)→薬研坂(02:54)→高橋是清翁記念公園(03:41)→国際医療福祉大学東京赤坂キャンパス(赤坂小学校跡地)(07:52)→一ツ木通り(21:40)