みなと 記憶の風景ランドスケープ

~区民のインタビュー映像~

青山周辺

川島 信録さん

  • 風景 青山

    昭和20年(1945年)8月15日、終戦を迎えた青山は表参道のほうも少しずつ人々が戻り、町の人たちは瓦礫の整理、空き地などを使って蕎麦や野菜の栽培をはじめました。川島さんの戦後は、町の復興のために捧げられて、町は文字通りの焼け跡から、時代の流れに乗り、世界中からおしゃれを求めるひとで賑わう街となりました。青山通り沿いに面した川島さんの酒店はその名残をとどめ、今も静かにこの町にたたずんでいます。

    撮影日:令和元年(2019)5月22日

  • ■川島 信録さんのプロフィール

    昭和  5年(1930) 川島信録さん誕生

    昭和11年(1936) 東京市青南尋常小学校に入学

    昭和17年(1942) 東京府立第一商業学校に入学

    昭和20年(1945)~終戦後、青山三河屋川島商店、空襲で焼け野原から復興へ

    昭和24年(1949) 早稲田大学第一商学部に入学

    昭和46年(1971) 株式会社青山三河屋川島商店 代表となる

    平成元年(1989) 青山表参道商店会 会長に就任

    平成11年(1999) 青山表参道町会 会長就任(平成23年退任)

    平成18年(2006) 赤坂青山町会連合会 会長就任、以後役職を歴任し現在に至る

    ■青山:インタビューメニュー

    青山「三河屋」の風景(1:06)→記憶の中の一番古い風景(1:39)→地下鉄の風景(5:48)

    →青南小学校の風景(6:55)→戦中の風景(8:34)→学徒動員の風景(12:51)

    →戦後の風景(15:17)→仕事の風景(17:05)→変化した商売の風景(19:57)

    →商売を通して見えた風景(22:15)

    ■撮影コース

    青山通り(00:52)→青南小学校(06:56)→青山墓地(08:56)

■かつての青山の風景■

■青山の歴史をもっと知るためのキーワード■